南沢奈央の読書日記
2019/03/01

シズル銭湯

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撮影:南沢奈央

 待ち合わせ場所は、銭湯だった。
 一度仕事でお会いして、そのときお話しする時間は30分もなかったのだけど、とにかく楽しかった。珍しくわたしから、今度ご飯でも行きましょうと声を掛けてしまった。
 日にちを決めて、その日は夕方から空いていることを伝えると、
「一緒に銭湯に行きませんか?」
 ごく自然に、銭湯に誘われた。わたしたちはご飯屋さんを選ぶのではなく、入ってみたいお風呂を選んだ。
 慣れない高円寺の街。初めて行く銭湯。一回しか会ったことのない人といきなり一緒に入浴。駅から向かっている間に、ふと気づいて妙に緊張してしまった。
 目的地である小杉湯にたどり着くと、小杉湯の若旦那と番頭さんが表で出迎えてくれるというVIP対応……。というわけではない。
 わたしが会う約束をしていたのは、小杉湯で番頭として働いている、塩谷歩波さんなのである。
 穏やかそうな若旦那さんはちょうど、入浴を終えた小学校低学年くらいのお子さんふたりを見送っていた。自分たちだけでちゃんと銭湯を利用できるなんて、しっかりした女の子たちだなぁ、と感心しながらわたしも見送った。
 すると若旦那さんが一言。
「担当のおばちゃんがいるんですよ」
 毎日だいたい同じ時間に来ていると、だいたい同じ人と会う。自然と、面倒を見てくれる人が決まっていたというのだ。だから子どもだけで入浴していても、安心していられるという話を聞いて、わたしはお湯に入る前から、いや建物に入る前から、あたたかい気分になっていた。

 お湯はいとも簡単に、身も心も解きほぐしてくれる。
 わたしの身体から緊張はきれいに洗い流され、自分が裸であることも忘れ、すっかりリラックスしていた。
 ふたりであつ湯と水風呂を行ったり来たりしながら、銭湯の中でずっと銭湯の話をしていた。その時歩波さんは、たびたび口にしていた。
「銭湯をもっと盛り上げたい!」
 その真っすぐな想いがひとつ、形になった。
 Twitterに投稿していたイラストシリーズ「銭湯図解」が書籍化したのだ。うれしい!
 もともと銭湯大好きだし、「銭湯図解」ファンであるわたしも、ちゃっかり帯に推薦コメントを書かせてもらえたりなんかして。うれしい!

『銭湯図解』では、24軒の銭湯が紹介されている。だが、ただの銭湯ガイドではない。さまざまな銭湯の内部を図解して、情報のみならず、その銭湯の“空気感”を伝えている。
 以前設計事務所で働いていた歩波さんは、建築の図法で精密にきっちりと描いているのだけど、水彩を使っているからだろうか、銭湯のやさしいローカルな雰囲気がイラストから漂ってくる。
 わたしの今までの銭湯との付き合いは、広い浴槽でお風呂に入りたいから近所の銭湯に行く、とか、仕事の現場の近くにあったから帰りに寄る、というようなものだった。だが、本書で銭湯の魅力を知ってしまった今、行く目的は一気に多様化する予感がある。
 番頭である塩谷歩波さんに会いたいから。健康のため交互浴をしたいから。アロマの香り漂うサウナに入りたいから。トムヤムクン湯に入りたいから。横山大観の作品をモチーフにしたタイル絵を見てみたいから。露天からスカイツリーを眺めたいから。裸のままハンモックで休憩してみたいから。入浴後キンキンに冷えたビールを飲みたいから。プロジェクションマッピングを見てみたいから。
 むかしながらの良さを残しながら、銭湯はこんなにも多様化してきている。
 銭湯は、日常の入浴の場でもありながら、そのために出掛けたくなるような特別な場にもなりうるのかもしれないと、思った。
 本書を開いていると、美味しそうな食べ物を見てよだれが出てくるように、本能が刺激されるような感覚がある。
 今すぐ服を脱ぎ捨て、湯の中へ解き放たれたい……!

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