南沢奈央の読書日記
2018/08/17

月光を辿って

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撮影:南沢奈央

 わたしは今、ベートーヴェンの「月光」を聴いている。そして、想像してみる。生と死について。戦争について。
 2日前テレビで見た、ある女性の姿が思い出される。
 彼女は、73年前に旦那さんと死別したという。車いすに座りながらカメラの前で、いかに戦争によって苦しく悲しい思いをしたか、いかに平和であることが尊いものかを訴えていた。ほとんどむせび泣きながら。
 その姿を見た瞬間、目が離せなくなった。わたしなんかがどれほど頑張っても、想像が及ぶわけがない。だけど決して、知ること、考えることをやめてはいけないと思った。

 事実を正確に伝えるのは簡単ではない。そこにとどまらず、感情をも伝えることができる人は限られている。
 そういった感情を伝えようとした人の思いを、さらに多くの人に伝えたいと作られたのが、毛利恒之さんのドキュメンタリー小説『月光の夏』だ。
 1945年初夏、鳥栖の学校に「死ぬまえに一度、思いっきり、ピアノを弾かせてください」とやってきた青年。彼はピアニストを夢見ていた若き特攻隊員だった。演奏されたベートーヴェンの「月光」は、その場にいた教師、生徒たちに衝撃と感動を与えた。それから45年経って、当時ピアノ担当の教師だった吉岡公子が、「もう戦争はしてはならない」という思いを伝えるべく、自分が体験した「あの日」のことをさまざまな場所で語るようになる。するとピアノを弾いた特攻隊員の行方を巡って、反響が広がっていく。はたして運命の演奏をもう一度聴くことはできるのか―。
 
 『僕たちの苦しみと死が、父や母や弟妹たち、愛するものを守るために、たとえわずかでも役立つものなら……』
 ある特攻隊員の日記の一部だ。残された遺書や日記には、どこか自分に言い聞かせ、自ら覚悟を迫るものも多くあったという。そんなふうにして、家族や同胞、国を思い、尊い犠牲になっていった特攻隊員が6000名……。
 特攻の惨劇はいかほどだったのか。戦争は何を狂わせたのか。人々は何に怯え、何を希望にしていたのか。
 物語の中で、戦時中の人々の思いが蘇る。今まで読んだ教科書やノンフィクションの記録よりも、身につまされるものがあった。知るを超えて、感じるものがあった。小説は、感情移入という形で、単なる事実を超えて、真実の近くまでいけるのかもしれない。
 こうして、思いを形にしたいと願う人々による作品によって、現代のわたしたちにも当時の思いを掬い取ることができる。そうして心を寄せる人がひとりでも増え、それが戦争で亡くなられた方の慰めになればと思う。
 わたしは今、ベートーヴェンの「月光」を聴いている。

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