南沢奈央の読書日記
2024/02/09

昨日と今日の境目の雲

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撮影:南沢奈央

 日光を浴びるって大事だなと思う。もちろん毎日が晴れているわけではないから、気持ちの良い日光を浴びられるとは限らないけれど、曇りだろうが雨だろうが、朝の光を浴びることは一日の始まりに必要なことだなとようやく最近、身をもって実感している。
 近頃布団で目を覚ますと、まず思うのは「顔が寒い」。だからすぐに頭まで掛け布団を引っ張り上げる。すると足先が出てしまうから、体をまるめる。こたつのなかの猫のように、全身でぬくもりを感じる。布団のなかの暗闇がほっとさせてくれる。これが心地よい。
 だが、これは目覚めとは逆行している行動だ。二度寝への道にまっしぐらである。だからわたしは、よおし、と腕だけを出して、ぐっと伸ばす。そうしないと届かない絶妙な距離のカーテンを手探りで捉える。そして半分開けるのだ。ちょうどそれが、全身を伸ばすストレッチのような形となり、身体が目覚めてくる。
 すると布団のなかからでも、窓から差し込む光がわかる。布団から顔を出し、目に光を取り込む。すると頭も覚醒しはじめるのだ。
 この最近の朝の一連の流れが、わたしは好きだ。布団のなかは心地よいけれど、それよりも、光を浴びて目覚めることのほうが気持ち良いなあと思えるのだ。

 さらにそこに、カーテンを、もしくは窓も開けて、空を見上げるということも加えたい――。そう思うようになったのは、『朝、空が見えます』を手に取ったからだ。
 この本は、歌人の東直子さんが2017年1月1日から12月31日まで、毎朝Twitter(現・X)に投稿したという一文を一冊の本にまとめたもの。その内容が、朝起きたときに見上げた、その日の空の様子なのだ。
〈いつもと同じように晴れていて、しかし今日だけの空なのだと思います。〉
1月にこのような一文があったが、こうして365日分の空を一挙に眺めてみると、一日として同じ空はないという、至極当たり前だけどかけがえのないことに気づかされる。天気として表現するならば、晴れ/曇り/雨の3種類に分類される。だけど、その晴れのなかにも日々違いがあるのだ。そうしたその日だけの空の表情をやさしく感じ取って、あたたかく、たのしく、チャーミングに表現してくれる。
 2月の〈縫い目のない青空です。〉というような、雲一つない、空気の澄んだ冬の空というのも、心からすっきりした気持ちになれるから好きなのだが、これ好きだなあと自分がメモしたものを見返してみると、雲にまつわるものが多かった。
 雲を見て、「おにぎりみたい」とか「羊に見えるね」とか、形を喩えることは誰しも一度はやったことがあると思う。だけど東さんの雲の喩えは、形だけではなく、柔らかさや空気、湿度、色や光までを伝えてくれる。抜粋して紹介するのも憚られるが、ほんとうに多数すてきな表現があったので羅列させていただきたい。ぜひみなさんも、一つ一つ、頭のなかで景色を想像しながら味わってください。
〈中で誰かが遊んでいるような雲〉、〈白い布団のような雲〉、〈夢が忘れ物をしたような雲〉、〈いずれ消えていくつもりの者たちが一時ほほえんでいるような雲〉、〈天使のため息のような雲〉、〈いたずらっ子たちが舌を出しながら去っていったあとのような、雲〉、〈カフェラテの表面のような雲〉、〈人魚姫が蘇りそうな、もわもわの白い雲〉――。
 ちなみに、自分の27歳の誕生日、2017年6月15日には〈つつけば合唱がこぼれ落ちそうな、重たげな雲〉が出ていたようだ。そういえば、と2017年を思い返すと、この読書日記の連載が始まった年だ。さらにわたしは実家を離れ、初めての独り暮らしを始めた年でもあった。ふしぎと、あの頃の空がより鮮明に思い出せるような気がしてくる。

 空を見ていると、なにか思い出す記憶がある。毎日が違う空だけど、新鮮さとともに懐かしさも胸もとに湧いてくる。
 朝の空は、昨日までのむかしを懐かしみながら、今日これからのみらいに思いを馳せることもできる、ちょうど昨日と今日の境目なのだろう。

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