南沢奈央の読書日記
2023/04/07

“おいしい”ってなんだろう

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撮影:南沢奈央

「これ食べられないなんて、人生損してる~」
 わたしが人生で何度となく言われてきたこの言葉について考えてみたい。
 まず、これを言われてどう思えばいいのか、いつも戸惑う。“わたしって損してたんだ……”と残念にも思わないし、“あぁ食べられたらいいのに!”と悔しさも湧かないし、“じゃあ、食べてみようかな”という後押しにもならない。正直言って、浮かんだのは“へぇ~”という他人事のような相槌だ。
 ではなぜ、人はそんな言い回しを使うのか。相手の気持ちを考えてみる。言われた側が感じ取れることといったら、その人がその食べ物のことを本当に好きなんだということだ。それを伝えたいんだとしたら、「私は、これ本当に好きなんだよね」と言えばいいじゃないかと思い始めると、勝手に「損している」と断定されたことの理不尽さから、“怒”の芽が1ミリ顔を出した。
 わたしがこの言葉をよく言われるのは、貝類が苦手で、特に牡蠣、という話をするとき。小さい頃からそんなに好んで食べるものでもなかったのに、大人になってから食べてみた牡蠣で2度、ハマグリで1度、あたっている。そうしてめでたく、正式に苦手ジャンルに入ったというわけだ。でも牡蠣好きの方の好きの深度が桁違いであることも知っている。オイスターバーが成立してしまうくらいだ。わたしには一生足を踏み入れられない場所があるということになる。だから、「損している」とまで言いたくなってしまう気持ちも分からなくもないから、“怒”はいずれ消える。
 だが以前、まぁまぁ奮発して行った回らないお寿司屋さんで、事前に貝が苦手である旨を伝えたのにもかかわらず、貝のネタを出されたことがある。動揺した。苦手であることをうっかり忘れてしまったのかと思って申し入れると、そこで大将から言われた言葉にさらに眩暈(めまい)がした。
「騙されたと思って、この貝は食べてみてほしい」

 いやです。そんなことを言えるわけもなく、大将の目の前で残せないから口に入れてみたけど、やっぱり苦手だった。でもそんなことを言えるわけもなく、「これならいけるかも……!?」とか言ってみたけど、やっぱりすごくいやだった。そして苛立ちを覚えた。貝を出した大将に対してもそうだが、本音を言えない自分に対しても。貝と色んな感情で胃の中がぐちゃぐちゃになって、本当に気持ち悪かった。
“おいしい”を主張してもいいが、“おいしい”を強要してはいけないのだ。

 気持ち悪さの正体に気づけたのは、高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』を読んだからだった。
 本書の冒頭から、この気持ちの悪い感覚と出会うことになる。会社での昼休み、「飯はみんなで食ったほうがうまい」が口ぐせの支店長が、「みんなで、食いに行くぞ」と部下たちを連れて出ていく。社内に残った二谷と先輩・藤の「午後一で打ち合わせ入っててよかったな」という会話、冷蔵庫に誰かのお弁当が入っている描写。「みんなで行くぞ」はどうかと言っていた藤が、勝手に若い女性社員・芦川のペットボトルのお茶を飲み、それを聞いた芦川は「どうでした?」と笑顔……。心がざわざわする。この気持ち悪さに引き込まれて、ページをめくる手は止まらない。
 その後も、芦川と密かに付き合っている二谷は、家で時間をかけて作ってくれた芦川の手料理を食しながら、「コンビニでいいじゃん」と心の中で思い、芦川が寝た後にはカップ麺を静かにすする。
 食に対する価値観の奇妙なずれを通して人間関係を描きながら、職場を舞台に描いた本作では働き方に対する価値観についても言及する。
〈誰でもみんな自分の働き方が正しいと思ってるんだよね〉〈無理せず帰る人も、人一倍頑張る人も、残業しない人もたくさんする人も、自分の仕事のあり方が正解だと思ってるんだよ〉
 頭痛が出てしまって“無理せず帰る人”である芦川の仕事を、“人一倍頑張る人”である女性社員の押尾が偏頭痛持ちであることを一言も言わずに引き受ける。か弱くて可愛らしい芦川には大変な仕事はまわさない、常習的な早退を認める、といった暗黙のルールがあることに疑問を抱く押尾だが、残業や休日出勤も惜しまないで仕事に励み続ける。
 そしてある日、早退した後や休日に作ったという手作りのお菓子を芦川が会社で配り始めたことによって、二谷と押尾の内側はさらに歪んでいく。
 もし “おいしい”を分かち合える人がいたら、それは奇跡のようなことだ。ただ忘れないでほしい。“おいしい”が凶器になりうるということを。みな、心の奥底にある本音を抱えて生きているのだから。

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