南沢奈央の読書日記
2018/02/23

職人の味

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撮影:南沢奈央

 女の人って、バーテンにオススメ聞いて、値段も聞かずに「じゃあそれで」って、絶対断らないよね~、だよね~。
 サラリーマン二人の皮肉っぽい会話が聞こえてくる。わたしはつい5分前に、まさにその(サラリーマン曰く)女性特有の注文の仕方をしたばかりだ。
 読書をしにバーに来ていた。お酒も好きだし読書も好きだが、こんなことはめったにない。バーという薄暗い場所で、しかもお酒を飲みながらの集中力なんてたかが知れている。だが持っていた本がそうさせたのか、わたしはバーカウンターにひとり座っていた。平松洋子さんの『日本のすごい味 おいしさは進化する』を片手に。
 わたしはメニューをつまみにお酒を飲める。想像力で脳をだますのだ。この本もいきなり表紙が鰻蒲焼き。これを眺めているだけでしばらく飲める。(普段はかなり食べます。バーに行くような深い時間帯だったのでこういうことをしていました、という注意書きをしておきたい。)
 本を開けば、15の逸品が用意されている。鴨鍋、江戸前寿司、うに弁当に、いわしの焼き干し、サーロインステーキにピッツァ、ショートケーキまで……。平松洋子さんの表現によって、その食べ物たちに生命力が宿る。見た目、味、舌触り、香り、咀嚼する音が、躍動的に伝わってくる。今まさに著者が目の前で食べているように感じられるのだ。さらに写真まで加わると、もう自分の脳をだませるわけがない。口内に溜まったよだれをお酒で飲みこむのに、必死だ。一杯目に頼んだサングリアは、あっという間に空になっていた。

 「お次いかがしましょう」というバーテンさんの声に、「フルーツカクテルでオススメはありますか」。サングリアで使われていた果物が美味しく、他のフルーツカクテルも飲んでみたく、何よりこの方がどんなカクテルを作ってくれるのだろうと興味が湧いていたのだ。柑橘系であまり甘くない感じ、ソーダを使って。オススメを聞いた割には注文が多いことはさておき、旬ではないが青みかんを使ったカクテルは気に入ってもらえるかもと提案された。「じゃあそれで」。
 ただ美味しいものを提供するだけではなく、そのことを通して果たそうとしている何かがある。
 出された青みかんのジンリッキーとこの本を味わいながら、人がつくるものの奥深さが染みわたってきた。読み終えて最終的に見えてくるのは、いかに美味しいものなのかではなく、“人”なのだ。作り手の人たちの歴史、暮らし、姿勢、使命―。
 <職人とは、思考と鍛錬を手の動きに結実させるひとである。また、「味わう」という行為を通して伝統文化に招き入れる役割も果たす。>
 本書に登場する作り手の方はみな、まさに職人だ。三陸鉄道は土地の暮らしを繋ぎ、短角牛の畜産農家は国民の健康面まで考え、日本全国で一軒しかない農家は凍みこんにゃくの伝統を守るべく、食をつくる。つくる過程を見ると、決して数値で表せるものでも、マニュアル化できるものではなく、目で見て、手で触れて、鼻で嗅いで、耳で聞いて、味わって、生み出していく。経験と知恵によって、すごい味をカタチにしていくのは鮮やかな職人技であり、芸術とも言える。

 迷いのない手つきでカクテルを完成させる姿はかっこよかったです、とバーテンさんに伝える代わりに「ごちそうさまでした」と言った。オススメを聞いてみると世界が広がるかもしれませんよ、とサラリーマン二人に教える代わりに、表紙が見えるように本を胸に抱え、軽く会釈をして、お店を後にした。

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