南沢奈央の読書日記
2018/12/28

おはぎさんの友情

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撮影:南沢奈央

 少年時代のあだ名が「おはぎ」だったという彼は、友人である志賀直哉が別の知人の家になんの連絡もなく行ったことを知り、こんなことをハガキに書いて送りつけた。
「僕はおこつてゐる、ほんとにおこつてゐる、あとで電話をかけておこるが今はハガキで怒る。」
 わたしは人間味溢れるこの文面が、とても好きだ。
 怒っている理由から、怒り方まで、なんと可愛らしいことか。恋人でもあるまい、ただの友人だろう。何を嫉妬しているのか。しかも連絡の順番が、ハガキのあとに電話なのね。だとしたら本当に怒っているのですか?と聞きたくなる。
 本当に怒っていたのだとしたら、衝動的に電話で怒りをぶつけるのではなく、先に手紙にしたためるという手段を取ったおはぎさんは、相手想いな気もする。
 彼の持つ“友情”が垣間見える。
「おはぎ」というあだ名も含め、“武者小路実篤”という仰々しい名前からは想像がつかないエピソードである。
 これをある本で知って、すっかりおはぎさんが気になる存在になっていた。
 となると、読むべきはやはり『友情』だろう。
 1919年に新聞で連載された本作品を、ちょうど100年後の2019年を目前にして読むということに運命を感じつつ、本を開いた。

 気も合って、尊敬し合っていた親友同士だとしても、ひとりが恋愛をしたことでふたりの間の友情に変化が生まれる。そういうことは、大なり小なり今でもあるだろう。本作品は、恋愛と友情の間で揺れる、主人公・野島と親友・大宮、ふたりの男の物語である。
 野島はある日、年下の杉子に恋をする。「女の人を見ると、結婚のことをすぐ思わないではいられない人間」である野島の頭の中では、杉子がどんどん理想化されていき、結婚の妄想は止まらない。「新聞を見ても、雑誌を見ても、本を見ても、杉という字が目につい」て、はっとしてしまうほど……。ふたりはまだ、一言も言葉を交わしたことがないというのに。
 やがて親友の大宮に相談に乗ってもらうようになる。
「あんまり恋し過ぎると云うことは弱点だ。なんだか独立性がなくなったようで、魂を何かにあずけているような不安を感じる。僕は恋をしていない君をむしろ羨ましく思う」
「僕はそんなにまで一人を愛することが出来る君を羨ましく思うよ」

 杉子との交流が始まり、神の存在について議論する場面が印象的だ。理論立てて、正当化していく姿、そして神と向き合う野島の姿は、「罪と罰」の主人公ラスコリニコフに通ずるものがある。一瞬頭の中に稽古中の舞台のことが浮かんだが、杉子と言い合いになって対立して、ひとり浜辺であーだこーだ考えているところが可笑しくて、たまらずクスクスと笑った。
 海へ石を投げて、3つ以上水面を切ってとんだら杉子は自分と結婚するのだと思いを定めてやってみたら、1つで沈んでしまい、じゃあ今度は奇数だったら一緒になるのだとやってみると、数えきれないくらい沢山とんでしまい、3度目こそ本当だとやってみると、水面を3つ切ってとんで、気持ちが良くなっている。
 その後も砂浜に“杉子”と文字を書いて、10回波が来ても消えないで残っていたら、杉子は自分のものだと信じて、試している。
 野島は理論立てているのではなかった、ただただ自分の良いように言い訳を見つけているだけなのだ。無理してでも正当化することで精神を保っている。人間っぽくてとてもおもしろい。
 ふと、序盤の大宮の言葉が思い出される。
「恋が盲目と云うのは、相手を都合のいいように見すぎることを意味するのだ」
 これがのちのち重要な忠告になってくるなんて、その時にはつゆ知らず。
 そして下篇、手紙による大宮の「告白」がはじまる――。

 おはぎさんの友情は、純粋を丸めたものに残酷をまぶしたものだ。
 恋愛というエッセンスで純粋が引き立ってくるのか、残酷が引き立ってくるのか。それは味わってみないと分からない。

 ***

※南沢奈央さんが出演する舞台「罪と罰」は2019年1月9日(水)から2月1日(金)までBunkamuraシアターコクーンにて上演されます。
http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/19_crime/

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