南沢奈央の読書日記
2017/12/29

世界中のアイへ

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撮影:南沢奈央

 他人の気持ちを分かってあげられるような人間になりたい。
 そう思って生きてきた。顔色を窺い、空気を読んだ。努めてきた分、察知できるようになってきたと思っている。だが気付いたら、今のわたしは、他人の些細な表情の変化に怯え、その場の空気を乱さぬことに細心の注意を払うような人間になっていた。
 感受性が強いことは、やがてわたしを苦しめるようになった。
 日々絶えない世界中の紛争や災害などのニュースを見て、胸の真ん中あたりがきゅうと締め付けられ、呼吸が浅くなる。心臓の鼓動はどくんどくんと、強さと速度を増していく。時に、涙が出てくることもある。被害者の人たちの悲しみや辛さを感じて、受け止めきれなくなり、身体がコントロール出来なくなってしまうのである。
 たとえばもっと小さなことでも、大事な人が頭痛で辛そうにしていたら、その苦しさを思って、苦しくなる。代わってあげたいと本気で思う。
 このことを、今まで誰にも言えずにいた。偽善だろう。お前に何が分かるのだ。お前に何が出来る。得体の知れぬ声が頭の中で鳴り響く。わたしは恵まれた環境で生活をし、健康で、好きな仕事までしている。幸せに、生きているのだ。
 祈ることしかできない。そんな自分を優しいとも思わないし、むしろ無力さを全身で感じる。そもそも、他人の気持ちを分かって“あげたい”と思っている時点で、自分を棚に上げているようで、何様のつもりなんだ、とまた声が聞こえてくる。そして自分の存在意義を考える。わたしは、何が出来るのだろう。どうして、わたしはここに居るのだろう。

 西加奈子さんの作品に触れると、いつもそうだ。自分の内面がうわぁぁとうごめき出し、溢れ出てくる。けどそれを読書日記に書くべきか、迷った。
キレイゴト。偽善。自意識過剰。傲慢。やっぱりここまで書きながらも、自分の頭の中をこれらの声が占領している。
 だが今回、『i』の中の台詞が、こうしてさらけ出す勇気をくれたのだ。

《誰かのことを思って苦しいのなら、どれだけ自分が非力でも苦しむべきだと、私は思う。その苦しみを大切にすべきだって。》
《渦中にいなくても、その人たちのことを思って苦しんでいいと思う。》
《それはどういうことなのか、想像でしかないけれど、それに実際の力はないかもしれないけれど、想像するってことは心を、想いを寄せることだと思う。》
 
 シリアで生まれ、アメリカ人の父と日本人の母の間で養子として育てられた主人公・アイ。恵まれた自分に苦しみ、数学教師の「この世界にアイは存在しません」という言葉に囚われ、自分という存在に不安を抱いている。世界中で人が死んでゆく、苦しんでいる現実を見て、「どうして自分じゃなかったのだろう」と罪悪感を募らせて、内向していくのだ。
 わたしに勇気をくれた先ほどの台詞が、愛する人がアイをこの世界に存在させてくれたときの言葉であり、自分自身でアイを肯定できたときの言葉だ。
 わたしもまさに、この世界に存在することを認めてもらえたような気がして、胸を締め付けていたものがすぅっと消えた気がした。頭の中も穏やかになった。大きく息を吸い、大きく息を吐くと、うっすらと目に涙が滲んだ。

 “私”という存在を、“愛”という存在を肯定してくれる、尊い一冊。
 『i』が存在してくれることに、感謝せずにはいられない。

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