南沢奈央の読書日記
2019/12/13

キッチン・ストーリー

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撮影:南沢奈央

 物凄いスピードで物凄い種類の、しかも美味しそうな料理を作れる「スゴ腕家政婦」なる人のことを、最近テレビで見た。家事代行サービスとして依頼者のお宅に訪問し、冷蔵庫を覗いて、どんな食材があるか束の間見たかと思うと、まるで自分のキッチンかというほど手際よく、料理に取り掛かる。3時間程で1週間の作り置きを完成させた。これはもはや、特殊能力だと思う。
 ここまでではないにしても、「他人のキッチンで料理するのが好き」だという人が、意外と周りにいる。今は来年の舞台に向けて稽古中なのだが、ちょうど共演者の中にもそういう方がいて、理由を聞いたら、「台所―冷蔵庫の中、調味料や道具の配置など―を見ると、普段料理をする人かどうか、また、どんな風に料理する人なのかが分かるから面白い」のだそうだ。

 わたしには、ときどき思い出しては見たくなる台所がある。
『キッチン・ストーリー』という北欧映画がある。1950年代のノルウェーの田舎に一人で住む老人と、“独身男性の台所での行動パターン”を調査するためにスウェーデンからやってきた男の物語だ。
 調査員は、台所の角にプールの監視員が座るような高い椅子を設置して、しばらくの期間、調査対象の台所での動線や習慣を記録する。その間、調査対象と会話すること、雑用や家事を手伝うことが禁止されている。
 老人はなかなか偏屈な人物で、台所にあまり来なかったり、料理は寝室でしたり、わざといつもと違う行動をする。だが時間が経つにつれ、同じ空間にずっと一緒にいることでお互いに関心を持ち始める。ついに会話をして、心を通わせていく。調査はクリスマスまでなのだが、老人が「クリスマスも一緒に過ごしてくれ」とお願いするシーンは、昨日久々に見て、やはりぐっときた。心の交流が生まれるこの台所が本当に好きだ。

 一般家庭の台所での行動を調査して、科学者たちが分析して快適に使える台所の設計や製品の開発に役立てる「台所行動学」というのは面白い設定だなぁと思っていたのだが、実際に台所を調査・研究している人がいるのだと、『台所見聞録 人と暮らしの万華鏡』で知った。
 本書で執筆されているお一人、宮崎玲子さんは、一級建築士として構造設計をするかたわら、国内外の民家を研究調査し、世界50か国以上の台所、食空間の実地調査に携わる。そこから得た情報をもとに、宮崎さん自身が制作した模型とともに世界の伝統的な台所が紹介されている。
 かまどといろりがあるような昔ながらの日本の台所はもちろん、世界の伝統的台所から見えてくる文化というのは本当に興味深い。
 一番驚いたのは、地球上の北半球のちょうど中ほど、つまり北極点と赤道との中間、北緯40度線あたりを境に、北と南では鍋の使い方に大きな違いがあるということ。北では鍋を“吊る”が、南では鍋を“置く”のだという。
 また、北の国で火の場所を見ていくと、火がどれだけ生活に重要だったのかが見えてくる。ドイツでは家の中心にあり、クッキングストーブは料理のためにも使うが、暖を取るためにも置かれていることが分かる。ロシアでは調理用暖炉を壁の間に通して家全体を暖める造りになっていたりする。
 北の国では水よりも火が中心だが、南の国では水を大量に使うので、大切にされてきたのだという。雨季には水を甕に溜めて、腐らないように床下の川中に漬けて保存していた。今でも、水をため置く習慣を持つ人が多いのだとか。

 現代では、こうした国や地域による台所の違いというのはなかなか見ることができない。
「世界は台所だけを見ても均質化し、風土で育まれた独自性を喪失している」と指摘するのは、もう一人の執筆者、須崎文代さん。
 須崎さんの研究する台所史、近代住宅・建築史から見ると、確かに昔ながらの独自性というのは時代とともに消えていったが、代わりにいかに便利で清潔な台所になったかと知った。
 今からちょうど100年前、大正8年に“生活改善展覧会”が開催され、その時のポスターに書かれていたのは「家庭の改良は先づ台所設備から」。ここから婦人誌や住宅専門誌で「台所特集号」が組まれ、台所が近代的なものになっていく。
 かつて日本の台所というのは、土間と板床で構成されていた。土間には水場とかまどが設置され、板床ではまな板での調理や配膳をしていた。つまり、土間と床の上を行き来して調理していたのだ。この労力と衛生面を考えて、すべて床上でしかも立って作業する台所へと進化していったのだった。
 それから、立って作業するにはどのくらいの高さの設備が良いか、作業動線を合理的にするには設備の配置をどうするか……、と台所が今の形になっていったのだ。
 現在ではどこの台所も、だいぶコンパクトだし、あまり歩かずに全てが済むようになっているが、国の歴史と多くの人の台所研究によるものだと知って、ほのかな感動を味わった。

 いろいろな時代のいろいろな国の台所をのぞき見させてもらって分かったのは、台所にはさまざまな物語があるということ。さて、我が家はどんな台所にしていこうか。

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