南沢奈央の読書日記
2019/11/08

「ないもの、あります」

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撮影:南沢奈央

 2階の渡り廊下を通って隣の建物に入ると、そこは4階だった。そんな経験はないだろうか。そこで一瞬、空間の軸と時間の軸が揺らぐ。まるで異界に来てしまったようだ。
 果たしてここは、虚構なのか。それとも、現実なのか……。
 ここは、本の中。表に記された、宮沢賢治作品を想起させる『注文の多い注文書』というタイトルもまた、もう一つの世界への入り口のように思える。
〈その街区は都会の中の引き出しの奥のようなところにありました〉から始まるプロローグ。クラフト・エヴィング商會にたどり着くまでのほんの7ページで、すでに、渡り廊下を渡った感覚になっていた。

「ないもの、あります」との謳い文句を掲げるそのお店には、さまざまな事情を抱えて探し物をしている人々が訪れる。「じつは、昔、読んだ本に出てきたものなんですが――」と客が注文するのは、川端康成『たんぽぽ』に登場する人体欠視症治療薬、J.D.サリンジャー『バナナフィッシュにうってつけの日』のバナナフィッシュの耳石、村上春樹『貧乏な叔母さんの話』の貧乏な叔母さん。ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』は肺に咲く睡蓮、内田百間『冥途』の落丁と、本に関わるものばかり。
 どうして今必要なのか、と理由を説明するために、注文主は自分について語り始める。この長い“注文書”で依頼主の人生が見えてくる。
 そしてそれぞれの注文に対して、クラフト・エヴィング商會が時間を掛けて向き合い、最後には物の写真と文章を添えて“納品書”で返す。受け取った依頼主がその後を“受領書”として報告するという、一作が3部構成になっている短編集だ。
 ……とここまで来て、お恥ずかしながら白状しますが、この一冊を読み始めてしばらく、クラフト・エヴィング商會は小川洋子さんの創作で、架空のお店なのだと思っていた。だが何の気なしに調べてみたら……実在するではないか。大変失礼いたしました。
 クラフト・エヴィング商會というのは、吉田篤弘さんと吉田浩美さんの創作ユニットだ。25年ほど前に、架空の書物や商品の解説を並べるという形の展覧会「あるはずのない書物、あるはずのない断片」で活動を開始されたそう。(この展覧会も気になる!)その後は、実在しない物を手作りし、その写真に短い物語を添えるという書物を出版したり、ブックデザイナーとしても活躍されている。

 いま一度、整理する。
 本書は小川洋子さんとクラフト・エヴィング商會の共作である。往復書簡形式で物語が進む。その物語の中には、実在の小説が登場し、小説の中に出てくるものや、まつわるものが注文される。注文した品はそれぞれ形となり、納品されてくる――。
 この何層にもなっている本書の構造によって、わたしは虚構と現実を彷徨うことになったのだと思う。
『注文の多い注文書』という小説の中で、“現実”と言えるのは、注文の源になっている実在の小説だけだ。注文したものというのは、言ってしまえば小説の中に登場する、架空のものだ。だから納品されたものも架空。
「架空」の中に「実在」の中の「架空」が「架空」で形となって現れる。どういうわけか、現実の匂いが立ち上ってくる。そして、注文書、納品書、受領書と、他者とやり取りする段階を踏むことで、虚構だったはずの存在すべてが裏付けされていくような気になるのだ。

 特定の人の体が見えなくなっていく病気に苦しんでいる女性が、どこかにいるはずだ。バナナフィッシュという魚の耳石を手に入れて、サリンジャーは作家人生をスタートさせたのか。貧乏な叔母さんは今誰の背中に乗っているのかな。肺に咲いた睡蓮は、それはそれは美しいことだろう。クラフト・エヴィング商會で大切に保管されているという内田百間の落丁本、怖いもの見たさで一度は開いてみたい。
 そうだ、クラフト・エヴィング商會に一度伺おう。どこにあるのでしょうか。
〈その街区は都会の中の引き出しの奥のようなところにありました〉
〈人を惑わせるためにつくられたのではないかというくらい、いくつもの路地が入り組み、猫しか通れないような狭い道があります〉
〈東京の片隅からいきなり本の中の異国の時間へ連れ去られたようで、静かな図書室で夢中になってページをめくっていた、あの高揚した気分がよみがえりました〉
 出口にたどり着いたと思ったら、入り口に戻っていた。

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