南沢奈央の読書日記
2023/07/14

想像力の旅に出よう。

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撮影:南沢奈央

 書店で季節を感じられる瞬間といえば、やはり夏のフェアだろう。先日もふらりと立ち寄った書店で、「集英社文庫のナツイチ」と「新潮文庫の100冊」、「角川文庫のカドブン夏推し」がずらりと並んでいるところを見て、夏が来た、と思った。
 前回の読書日記で紹介した三浦しをんさんのエッセイは、実はナツイチの中の一冊だったが、知らずに手に取っていた。帯に〈この夏、一冊分おおきくなろう。〉というナツイチのキャッチコピーが書かれていて、おおっと気づいたのだった。
 そして書店で改めてラインナップを見ていて、今年もこの本に再会した。それは、湯本香樹実さんの『夏の庭 The Friends』だ。
 毎年のように新潮文庫の100冊に入っている。映画化も舞台化もされていて、約30年前に書かれた作品だけどいまだに小中学生向けの課題図書になっていたりもするらしい。言わずと知れた、夏の名作である。
 夏が来るたびに読みたいと思うもののなぜか読まずにここまで来てしまった一冊。ついに2023年夏、開くことができた。

 この本の主人公は小6のぼく。同級生のでぶの山下のおばあちゃんが亡くなったという話を聞いて、そういえばまだ「死んだ人」を見たことがないし、お葬式にも参加したことがないと気づく。それ以来、死んだ人のこととか、自分が死んだらどうなるとかつい考えてしまい、夢にまで見るようになってしまう。それはメガネの河辺も同じで、「死」の正体を確かめるために、三人は一人暮らす生ける屍のようなおじいさんの死ぬ瞬間を見ようと観察を始める。夏休みのあいだ、毎日通っているうちにおじいさんとの交流が始まり――というひと夏の物語である。
 死ぬって何だろう。身近な人の死を経験するというのは大きなきっかけではあるが、いままで漠然としていたものがいよいよ現実として見えてくるようになるのが、ちょうど小6くらいかもしれない。それは自分で自分自身の変化をも感じられるから。毎日おじいさんの家の塀にへばりついて見張っていて、ぼくの背が伸びてきていることに気づく場面は印象的。特に男の子は、自分でもびっくりするくらいに身体的に日々成長する時期なのだ。
〈最初はぼくたちがおじいさんを見ていたのに、いつのまにか、見られているのはぼくたちのほうになってしまった〉。
 見張っているうちに、変化してくる関係性が見どころだ。おじいさんを観察していると、夏なのにこたつに入っていたり、庭にはごみが溜まっていて、食事はコンビニのお弁当と缶詰ばかり。美味しいものを食べてほしいとお刺身を持ってきたり、溜まったごみを出してあげたり、暑さで倒れていないかと心配したり。徐々に関わるようになってきて、おじいさんの生活にもハリが出てきて元気を取り戻していく。
 「死」をテーマにしながらも、夏ならではの生命力ときらめきに満ちている。無心になって草むしりをする、縁側ですいかを食べる、庭に種をまいて花の成長を見守る……。夏の庭で作られる子ども三人とおじいさんの思い出は、瑞々しくて逞しい。わたしもあの頃の夏をふと思い出して、ちょっと涙が滲んだ。

 この夏、わたしの母の実家、つまりわたしがおじいちゃんおばあちゃんと過ごした家が売り払われることになった。家という形ある思い出はなくなってしまうけれど、ぼくが言うように、〈思い出は空気の中を漂い、雨に溶け、土に染みこんで、生き続けるとしたら……〉。
 こういうタイミングでこの本を手に取ったことに、何か意味があったのかもしれない。

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