南沢奈央の読書日記
2017/10/20

美食倶楽部入会希望届

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撮影:南沢奈央

 わたしは、特段食の知識が豊富なわけでも、料理が上手いというわけでもありません。ですが、“食を楽しむ”ことに関しては、人一倍のポリシーを持っているつもりです。
 谷崎潤一郎氏による『美食倶楽部』の活動についての記述を拝読しました。もちろん、五人の会員のみなさんには及ばないことは承知しています。お金も惜しまず、病気をも恐れず、日々美食を求めて全国を駆け巡っている。これはとてつもない贅沢です。徐々に麻痺して、興奮や感激も見い出せなくなるのは当たり前です。でも、まだどこかに美味しいものがあるに違いないと信じる、飽くなき探求心には、感心をしてしまいました。
 特に、G伯爵。美味しいものを鱈腹食べて満たされた状態で眠りについても、年中美味しいものを食べる夢ばかり見るという、食への執着の強さ。しかも自分のげっぷで目を覚ますというのだから、ここまでくると普通は食が嫌いになってしまいそうなものです……。そして、何より驚かされたのは、鼻で匂いを嗅げば大概料理のうまさ加減を直覚的に判断できるという特殊能力。生まれつきの才能なのか、鍛えられたものなのか。どちらか分かりませんが、これだけ美食に人生を捧げている人は他に出会ったことはありません。

 そんなG伯爵がある晩、会員たちとの饗宴の後、「自分が近いうちに素晴らしい料理を発見するに違いない」という予感から、ひとり外へ出たエピソードは印象的でした。特殊嗅覚と、どこからか聞こえてきた胡弓の音色に導かれるようにしてたどり着いたのが、浙江会館という建物。そこでは中国・浙江省の人達が集って宴会を開いていた。
 料理屋でもないところに見ず知らずの人間が中に入れたことだけでも凄いのに、余りものでもいいから食べさせてくださいとお願いをしていたのは、怪しすぎるでしょ、とつい笑ってしまいました。だけど断られてもなお、せめて宴会の様子を見るだけでも、と必死に懇願する伯爵の姿は何かに取り憑かれているようで、恐ろしいと感じるほどでした。もうそれは、そこの支那料理に出会う以外に取り除くことはできなかったでしょう。  
 ついに達成した命懸けの目撃は、言葉に表せない体験だったようで。その凄さは後に、それらの料理を再現して美食倶楽部の会員達に振舞って、“偉大なる美食家”“料理の天才”、と称賛を得たことからも分かります。「舌をもってその美食を味わうばかりでなく、眼をもって、鼻をもって、耳をもって、ある時は肌膚をもって味わわなければならなかった」というその食体験は、別次元。食べれば食べるほど美味しいげっぷが楽しめる料理、真っ暗闇に立たされて何者かに口に入れられる料理、等々……。

 わたしは以前、暗闇の空間で飲み物を飲んだときに、緑茶だと思ったものが実はウーロン茶だったことがあり、普段いかに視覚に頼っているのかとハッとしました。味覚の危うさにがっかりしました。だけど、美食倶楽部のみなさんの様子を見て、五感をフルに使って楽しむことの大切さを思い出しました。先日あるテレビ番組で、綺麗なフルーツパフェが特集されていて、「結局口に入れるんだから、見た目は何でもいいんじゃない?」とおっしゃっている男性出演者の方がいらっしゃいました。その方に、美食倶楽部が目指すものを教えてあげたいと思いました。やはり視覚による期待感や高揚感は、味をより高いレベルへと押し上げてくるはずですよね。
 最近、寒くなってきました。すると鍋や辛いものが食べたくなってくるものです。不思議と、美味しくも感じます。だけどそれはただ外が寒いからというだけでは成立しないとわたしは思っています。一日外でロケをして家に帰る、又は、寒い中自分の足でお店を目指したからこそ、鍋が美味しくなるのだと思います(今年も既に実証済みです)。

 食は人間のエネルギー源です。わたしにとっては、肉体だけでなく心も満たされ、頑張る力が、生きる力が湧いてきます。
 尊敬する美食倶楽部のみなさま、太鼓腹を抱えていることだけが気がかりです。ボルダリング後のお酒は美味しいです。登山中のご褒美のおやつや山頂でのご飯も極上らしいと先週知りました。身体を動かした後に食を楽しむことも進言させていただきつつ、倶楽部の入会を希望いたします。

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