南沢奈央の読書日記
2018/02/02

思い出スイッチ

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク


撮影:南沢奈央

 むかしのことを思い出す、という行為は、いつからするようになるのだろうか。
 中学時代の甘酸っぱい恋を思い出して胸がひりひりするおとなは居ても、幼稚園時代の恋とも呼べない好きという気持ちを思い出してときめく小学生は居ないだろう。
 わたしは、むかしのことを思い出すことが得意ではない。だから同窓会に行くのが怖い。成人式の日の、中学の同窓会ですでに、名前をどうしても思い出せない人が何人かいて、「名前覚えてるー?」なんてド直球に聞かれたときには、フリーズしてしまった。「文化祭であんなことしたよね」と言われても、共に過ごしたであろう思い出がピンとこないこともあった。それが申し訳なさ過ぎて、同窓会の誘いがあっても行く勇気が出ない。
 ここで言っておきたいのは、その時のことがどうでもいいということではない。記憶がどんどん更新されてしまっているだけなのだ。中学卒業後、東京に出て高校に進学して女優を始めて、大学に通う。毎日のように新しい刺激が入ってきた。特に、台本を覚えるという作業に慣れてからは、意識して記憶の更新を行った。台詞を入れて、本番を終えたら捨てて、また次の台詞を入れる。そうしていかないと、次々と台詞を覚えていくことができないのだ。
 だが、“捨てる”と表現したけれど、思考しなくなるだけで、完全に記憶から抹消されるわけではない。ごくたまに、この状況ではこう言おうかなぁと頭に浮かぶフレーズが、ドラマの台詞だったりする。以前島本理生さんの『よだかの片想い』を読んで、眼鏡からコンタクトに変えた甘酸っぱい片想いを思い出して、この読書日記に書き連ねてしまったことがあった(今読み返したら結構恥ずかしい)が、そんな風に何かの瞬間に、記憶の扉のスイッチに触れ、過去がばぁぁっと蘇ってくるものなのだ。

 思い出すスイッチというのは、さまざまだ。
 イカをさばいて中から魚が出てきたときに、中学時代の初めての恋が鮮明に蘇えってきた、なんて人もいる。
 一木けいさんの『1ミリの後悔もない、はずがない』の主人公だ。
 最初に収録されている「西国疾走少女」は、こうしてイカをさばいているところから、中学時代の回想になる。初恋の相手に惹かれた理由は、色気。正直自分が中二のときには、クラスに色気を感じる男子なんてひとりも居なかったから、この色気のあるという桐原君を想像する。他の男子より出っ張っていてなまめかしく動く、喉仏。長い手脚で走った後に、疲れてうっすら開いている、口。そして縮れて毛量の多い黒髪から飛び散る、汗。さらには彼の持っている消しゴムさえ、艶めいて感じられる……。
 著者の、女性目線の男性をクローズアップした描写が細かく、胸がどきどきしてくる。と同時に、初めての恋を経験して、生きている実感を発見できた主人公の純粋な悦び。青春の爽やかな風が吹いている。
 これから二人の物語が始まるぞ、というところで現在に戻る。どうやら、主人公は桐原じゃない相手と結婚をして家族を作っているようだということは分かる。静かに燃え上り始めた恋はどうなっていったのか。俳句を鑑賞するように、読み手が想像を膨らませていくしかない。
 その空白の部分を埋めるヒントを与えるように、4篇がつづく。主人公と仲良くしていたミカ、ミカとかつて仲良くしていた加奈子、主人公の夫、ミカが恋していた先輩・高山。主人公と桐原を囲む他の人物の主観に変わっていき、それぞれの人生が浮き出されてくる。すると、不思議と最初のふたりの恋が少しずつ見えてくるのだ。
 そして最後、「千波万波」で、母親になった主人公と娘との列車の旅を通して、過去と思い出し、向き合っていくことになる。


撮影:南沢奈央

 むかしのことを思い出すようになるのは、別れや失うということを経験してからだと、本書を読んで思った。それらに、後悔は伴う。後悔を経験した人はみな、過去を振り返るようになる。
 その上で、蘇る記憶がひとつでも多く、幸せなものになればいい。今を生きながら、思い出すスイッチを見付ける未来を作っていく。

*椎名林檎さん絶賛!!『1ミリの後悔もない、はずがない』の一篇を試し読み中

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク