南沢奈央の読書日記
2019/03/15

「寒さ」であたたまる

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撮影:南沢奈央

 今年の桜の開花予想が発表され、その日に近づいているというのに、近所の桜の木は冬の姿のままだ。日中、陽のあたたかさを感じられるようになってきたからこそ、朝晩の冷え込みが身に染みる。
 寒いのは苦手だし、桜の開花が待ち遠しい。なのにわたしは今、人生で初めて、まだ桜も咲かず、寒さが残っていて良かったと思っている。
 本を読む時期に正解なんてないはずなのだが、多和田葉子さんの『雪の練習生』は、まさに今、この季節に読むのが一番良かったのだと思えるほどに、現実の季節と作品の世界観がはまった気がした。
 表紙に描かれたホッキョクグマの背中に惹かれて、たまたま書店で手に取った本だったから、本とのこういった巡り合わせは、この上ない悦びを感じる。読書を続けてきて良かったと思える瞬間だ。
 
 まず第一章では、かつてサーカスの花形として活躍していた〈わたし〉が、幼年時代の記憶を辿り始め、自伝を書き始める。それを文芸誌の編集長オットセイに見せたことをきっかけに、自伝が世間へ発表され、環境や立場がめまぐるしく変化していく。やがて〈わたし〉は、過去を振り返るのはやめ、「人生はあらかじめ書いた自伝通りになるだろう」と、未来のことを書くようになる。
 そして描いた未来に登場する娘〈トスカ〉の物語が始まるのが、第二章だ。ウルズラという曲芸師とコンビを組んで、「死の接吻」というショーが生まれ、人気を博す。約十年間一緒に過ごしたウルズラと死別したのち、トスカは息子を生む。「狼に育てられてローマ帝国を建国した双子のような大物になってほし」いと、里子に出す。
 その思惑通り「地球の環境を守るために世界的に活躍する立派な活動家」になっていく息子〈クヌート〉の人生が第三章では描かれる。母ではなく、マティアスに育てられたクヌートは、すくすくと成長し、祖母や母のように人を喜ばせることに楽しさを覚え、周りから愛される存在になっていく。

 ところで、名前で気づいた方もいるかもしれないが、〈わたし〉〈トスカ〉〈クヌート〉は、人ではない。ホッキョクグマである。つまり本書は、三つの時代をホッキョクグマの目線で描いたものなのだ。
 その目線で、人間や社会、環境の変化を見ていくと、人間がすることがホッキョクグマはもちろん、すべての生物に関わることであり、影響するものなのだと実感する。
 そしていつの間にか、人間のエゴや“生きる”とは何かを、気付かされていく。

 カナダに亡命したいという〈わたし〉が「そんな寒いところにどうして」と問われて、こう答える。「あなたにとって気持ちのいい気温が他の人にとっても気持ちがいいとは限らないでしょう」
 人と心を通わせた〈トスカ〉は、こう分析する。「人間の魂というのは噂に聞いたほどロマンチックなものではなく、ほとんど言葉でできている。それも、普通に分かる言葉だけではなく、壊れた言葉の破片や言葉になり損なった映像や言葉の影なども多い」
 動物園の特別な部屋で人間に育てられた〈クヌート〉は、こう気付く。「生きるということはどうやら外へ出たいという気持ちのことらしい」「せっかく外に出られたと思って喜んでいたけれど、動物園にはまたその外があるのだ。外には外がある」
 
 多和田葉子さんがホッキョクグマに語らせる言葉は、母性のような愛情に溢れている。だから決して悲観的になることがない。 
 三代にわたるホッキョクグマたちの物語はどれも、北極に思いを馳せて締めくくられる。未来へのオープニングのようなエンディングで描かれる、それぞれの白の情景は、とてもあたたかい。
 ぜひ、春の寒さの中に身を置いて、本書を開いてみてください。そこから振り返る寒さはきっと、豊かで美しいものであると思えるはず。

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