南沢奈央の読書日記
2018/10/05

顔を赤らめて

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写真:南沢奈央

 わたしは人前が苦手で、緊張しいだ。時々、こんなんでよく女優という仕事をしているなぁと自分でも思うことがあるけれど、大人数の中で急に自分に注目が集まると、恥ずかしくて顔が赤くなってしまうのは、小さい頃からの性質だ。
 だが、学校の授業では自ら挙手して発表するような生徒だった。それには恥ずかしがり屋なりの計算がある。
 先生からの問いかけに、積極的に挙手する生徒というのはだいたい決まっている。逆に決して自ら挙手しない人もいる。わたしの性格的には後者だ。だけど先生はまんべんなく生徒に発言させようとする。だからたまに抜き打ちのように、名指ししてくることがあった。しかも普段あまり発言しないような生徒を選ぶから、困る。
 挙手しないくらいだから、自信がないかやる気がないかだろう。突然指名されたって答えられるわけがない。わたしも経験があるけど、先生が「誰にしようかなぁ」と教室を見渡している間に鼓動はどんどん速まり、目を合わせたくないけれど顔を下げていると逆に目立ってしまうのではないかと、ぼんやりと黒板に目を泳がせる。名前を呼ばれた瞬間に汗がどばっと出て、顔が熱くなっていくのを自分でも感じるほど。落ち着けと思えば思うほど、冷静にはなれず、「顔赤くなってる」と友達に言われたときにはゲームオーバーだ。答えられない恥ずかしさに顔が赤くなり、それが恥ずかしくなってもっと赤くなる。赤面は止まらない。
 だからわたしは、突然の名指しを避けるために、先生に挙手している印象を与えようと、たまに、控えめに、自ら手を挙げることを選んだ。もちろんそれでも緊張するし、若干顔は赤くなる。だけどなるべく抑えたいという気持ちはずっと変わらない。

 一方で、顔を赤らめている人を見ると、どうしてこうも胸がときめくのだろう。
何があっても動じず堂々としている人も格好良いけど、照れたり慌てたりして、顔が赤くなっている様子がとても人間らしくて素敵だと、売野機子さんの短編漫画集『薔薇だって書けるよ』で描かれている登場人物たちを見て感じた。
 初めて売野さんの作品を読んで、絵はもちろんのこと、使われる言葉が魅力的だなと思った。印象に残っている台詞がいくつもある。
最初に収録されている表題作の冒頭に早速胸を掴まれた。何枚にも書き綴ったラブレターを手に、思いを寄せる女の子の家へ。ロミジュリのごとく家の窓から顔をのぞかせる美少女・点子さんを見上げながら、「結婚してくれ」と顔を真っ赤にさせ叫ぶ、八朔さん。決して格好よくはない。走ってきたから顔は汗だく、息も切れているし、ラブレターを持つ手も震えている。
 こんな、不格好で一生懸命なプロポーズをされたら、もう……! キュンとすると同時に、「顔赤くなってる」とからかいたいくらい愛おしい!
 まずこの赤面している八朔さんの描写が素敵なのだけど、プロポーズされた点子の返しがとても粋だ。「顔赤くなってる」というからかいを、売野さんは点子にこう表現させる。
「うふふ紙キレいっぱい… あなたヤギ口説きに来たの?」
 いつかこんな返しをしてみたいものだが、ラブレターという文化もなくなりつつあるから悲しい。

 だがこんなに素敵なプロポーズで始まった結婚生活も、歯車が狂い始める。世間のことをあまり知らずに育った点子は、家事ひとつうまく出来なくて失敗ばかり。最初はこの純粋な部分が可愛らしく思えていたのに、やがて八朔は面倒に思い、恥ずかしく感じるようになってくる。そして八朔は「とにかく恥ずかしくない妻に育てなくてはとにかく常識的で一般的な普通の妻に」と、点子に対して理想を押し付けるようになる――。
 魅力的な描写と言葉で描かれるのは、人間のとても複雑な欲望だ。相手に何かを求める。相手は応える。すると、もっと求めてしまう。一生懸命応えようとする。さらにもっともっと、と求めてしまう。この繰り返しで、どんどん勝手な欲望は大きくなってしまう。相手が無理をしていることも気付かずに。愛を求め続けるがゆえに、こうなってしまう。
 みな、“愛されたい”という気持ちがどこかにある。これは全7作品すべてから感じたことだ。男女間の愛だけではない。同性同士、アーティストとファン、時には家族間。さまざまな場所で愛を求める。そして愛を受け取る瞬間も、人それぞれなのだと、それぞれの登場人物の生き方から考えさせられた。

 先生から名指しされたときに、わたしももっと自信を持って赤面してみたら良かったかしら。

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