南沢奈央の読書日記
2018/10/12

灰色の曇りのち、煌めく晴れ

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撮影:南沢奈央

 この映画、元気な時に見た方がいいよ。
 こう人から勧められることがある。見てみると、テーマが重めで、考えさせられる内容だったり。映像によるインパクトもすごい。元気なはずなのに、良し悪しや好き嫌い関係なく、見終わってどっと疲れる。そういう作品がたまにある。
 どんな作品でも、向き合う時には少なからず体力が必要だ。それは、作品自体が“エネルギー”を持っているからだと思う。
 エネルギー発散型なのか、溜め込み型なのか、エネルギーは静かなものなのか、激しいものなのか。作品によってちがう。だから体感も異なる。

 深緑野分さんの『ベルリンは晴れているか』は、凄い質量のエネルギーを持った作品だ。しかも熱を帯びている。作品内に充満する熱量は、もはや溢れ出して読者が受け取ってしまうくらいに多い。
 読み進めていけばいくほど、体が重くなり、作品の中にぐいぐいと引き込まれていく。

 本書の舞台は、第二次世界大戦直後のドイツだ。当時のドイツは、もはやドイツではない。総統が自殺し、国が降伏したことによって、戦勝国が押し寄せてきた。首都であるベルリンは、ソヴィエト連邦、アメリカ合衆国、イギリス、フランスの4カ国に統治されている状態だ。母国にいながらドイツ人には発言権がない。
 戦争は終わっているはずなのに、戦争の傷やナチスの過去を抱えながら、またそれぞれ、次の戦いに挑みながら生きている人々が描かれている。

 時代も国も違えば、境遇も全く違う。だが気付けば、物語の中にいるような気分になっている。戦争で両親も、生まれた家も失った少女・アウグステとともに、荒廃した街を歩き、見つめ、戦争の爪痕からさまざまなことを感じ取る。
 敗戦直後のドイツが主軸で描かれながら、アウグステの誕生から、国民がナチスを選んで戦争へ突入していく“幕間”のストーリーでもまた、読者に鮮烈な印象を焼き付ける。戦争という異常な状況の中で、狂っていく国と人間が見える。
 少女アウグステが何を感じ、何を見て、どう生き抜いてきたのか。
 1939年、当時11歳のアウグステでさえ、「頭の中は戦争の文字でいっぱいだった」というくらい予感は十分にあった中で、ついに第二次大戦が始まる。学校に行けば、同級生の女の子が「私たちは民族のために戦わなくちゃ!」「私たちの命をドイツに捧げましょう!」と意気揚々と叫ぶ。それに拍手する同級生たち。
 アウグステはしばらく、違和感を抱いていた。「空の色が急に緑色に変わるわけでも、鳥が鳴くのをやめるわけでもないので、人間だけが浮いているよう」だ、と。
 彼女の唯一の楽しみだった読書でさえも、読める本は制限された。英語の本はもちろん禁じられたし、ドイツ語の本でも内容が改訂されたものもあったという。たとえば、シンデレラと王子は、愛ゆえではなくて、純血同士だからまた出会えて幸せになる、という結末に変更された。価値観の矯正が確実に行われていた。
 国に奨励されない本を隠れて読んで、わくわくする気持ちを保っていたアウグステでさえも、戦争が激しくなって、生き抜くために考え方が変化していく。だが、それを誰も責めることはできないだろう。「“戦争だったから”“非常事態だったから”目を覚ました猛獣が」アウグステの内側に生まれ、人々は「善と悪のシーソーなんか無視して、自分にとっての得だけを考え」るようになっていく。

 自由とは。平和とは。
 人類にとって永遠のテーマに、戦争を生きた少女の人生を通して、向き合う。
 メインの戦後のストーリーと、そこへ向かう幕間のストーリーが最終章で繋がったとき、身体が痺れた。最後の一文を読み終えても、しばらく本を閉じることができなかった。
 物語は終わったようで、ああここから始まるのだなと思った。どっと疲れが出た。
 覚悟にも似た感情と、生きるエネルギーを受け取り、あの空を見上げる。

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