南沢奈央の読書日記
2018/03/23

「愛について、男女が語ること」を終えて

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写真左から南沢奈央さん、前田司郎さん

 先日、下北沢の本屋B&Bにて、前田司郎さんの『愛が挟み撃ち』出版記念イベントが行われた。約7年前、NHKドラマ「迷子」で脚本家としての前田さんとご一緒した縁があり、今では飲み友達、そしてわたしが前田さんの作品のファンということで、今回対談相手として参加させていただくことになった。
 『愛が挟み撃ち』について掘り下げていくものだとばかり思い込んでいたわたしは、イベントタイトルを聞いて、びっくり。
 「愛について、男女が語ること」
 男代表、女代表みたいな感じで、愛について語るんですか!前田さんも同様だったようで、苦笑し合いながら、始まった。

 愛とは何か。いざ考えようとすると、つかみどころがない。存在するのに実体がちゃんと見えなくて、もどかしい。初めはふたりで話を進めながらも、答えが出る気配は全くなかった。
 だが、前田さんは力強く言った。
「ドット絵だったテレビの解像度が上がって、今やくっきりと見えているように、愛をもっともっと細かく言語化できれば、愛というものが鮮明に見えてくる」
 なるほどこれは愛に限らず、全てに言えることかもしれない。対話して考えていくことって大事だなぁなんて、真剣な眼差しを向けてくださっているお客さまの前に立ってからようやく、このイベントで目指す方向が見えた気がした。そして、“語る”ことをやめ、“考える”ことにシフトチェンジしたのだった。
 『愛が挟み撃ち』の中で、まさに前田さんの言うような作業が行われている場面がある。主人公のひとりである俊介が、気になっている相手・京子が出演する芝居を観ている時のことだ。芝居を観ながら考え事するのが好きという俊介(劇作家で演出家でもある前田さんが書いているから可笑しみが増している!)が、愛について思いを巡らせる。―京子に恋はしているけれど、愛と呼ぶには抵抗がある。愛は育むものだから、一人じゃ出来ない?子どもは愛の結晶と呼ぶけれど、そもそも人間が先に存在して愛は後だと思う。愛は、神秘じゃない。じゃあ俺はどうすればいい?

 俊介と京子は紆余曲折あった末に夫婦となり、不妊に悩んでいる現在。そこで学生時代の共通の友人である水口に協力を持ちかける。ラスト、突拍子もない方法で子どもを作ることを達成するという内容なのだが、読んでいる最中も、読み終わった後も、“愛とは何か?”という大きなテーマが漂い続ける。それと付随してくるのが、“子どもって何?”“血の繋がりって何?”……。
 結局前田さんと話したことも、“どうして子どもが欲しいと思うのか?”“同性愛がどうして世間になかなか認められないのか?”“家族に対する愛と、他人に対する愛は同質?”などなど。こうして周りからぐるぐると辿っていくことによって、“愛”の姿が少しずつ浮かび上がってきたのではないだろうか。

 答えを出す場ではなく、みんなで考える時間になって、とても楽しかった。会場全体が高揚感に包まれて、終えられたと思う。時間を作って観に来てくれたみなさまにも感謝。
 ただ、わたしは前田さんからサラッと出た一言が気になり続けている。
 「他人の評価は必要としない」
 わたしがどれだけ『愛が挟み撃ち』によって心が動いたか、伝わっただろうか。前田さんは受け取ってくれただろうか……。

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