南沢奈央の読書日記
2018/01/05

オイヌさまと里帰り

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撮影:南沢奈央

 明けまして、おめでとうございます。
 元旦、挨拶を済ませ、家族全員でお重が並べられた食卓を囲む。おせち料理をいただきながら、今年一年の抱負をひとりひとり宣言していく。そして、おせち料理の意味をひとつひとつ確認していく。
 毎年恒例の流れである。とはいえ、一年に一度しか思い出さないおせち料理の意味というのは忘れてしまうもので、いくつかはネットで検索することになるのも、恒例である。
 日本にはところどころに伝統的な行事が残っていて、時季の行事として当たり前のように行っている。だけどその中に、意義をしっかり理解しているものは果たしてあるだろうか。ない、かもしれない……。
 2018年最初に手に取った、小倉美惠子さんの『オオカミの護符』にハッとさせられた。

 著者が幼い頃から気になっていたものの正体を知らなかったという、実家の土蔵に貼られた、一枚の護符。本書はその謎を追うことから始まった旅の記録である。「オイヌさま」と呼ばれる黒い獣が描かれている護符は、著者の故郷・土橋では家の戸口や台所、畑など至るところに掲げられて、暮らしに溶け込んでいたという。とは言え初めて見るわたしからすると、鋭い牙が並び、威嚇されているような気配を感じ、少し怖い印象だ。今、50戸ほどしかなかった土橋が7000世帯に近い街に変貌していく中でも、ひそかに「オイヌさま」は残っている。
 オイヌさまを追うことで見えてきた、もうひとつの人々の暮らしや関東の姿は、神秘的で、自分がいる場所とは違う時間軸に存在するのではないかと感じるほどだ。フィクションだと思いながら読んだ、柳田國男が書いた伝説や昔話のようなことが本当にあったのだと、感動にも似た衝撃を受けた。
 特に、“太占(ふとまに)祭”という存在は驚いた。鹿の肩甲骨を灼いて、骨に入ったヒビで農作物の出来を占うという神事で、今も東京都青梅市にある御岳山では毎年1月3日の朝に行われているという。この占いの結果から、一年の季節ごとの天候まで読み解くことができる人がいるというから、不思議なものだ。緻密に観測して、データを集めて、天気の予測をしている現代では、太占はあまりに原始的で、非科学的なものに思われる。だけど、古代のものがここまで受け継がれているということは、きっと確かに成果を出していて、重要な役割を果たしているからなのだろう。
 土地に根付いた暮らしの知恵というのは、科学的根拠よりも“経験則”から生み出されたものばかりだ。自然に湧く水や雨量、山に生える木の大きさなどを見て、どれだけの人がそこに住めるか、経験から判断したり、植物の名前は知らないがどのように使えるかは心得ていたり。その土地に向き合ってきたからこそ、息づいている感覚があるのだ。

 年末年始、里帰りをした人も多いだろう。
 だが昨年まで東京で実家暮らしだったわたしにとって、「里帰り」という言葉は馴染みがなく、もしかしたら一生使わない言葉かもしれない。実家を出た今でも、実家がある街に対して、あるいは生まれ育った埼玉に対して、「里」の意識が、全くない。
 思い入れや知識がなくとも、生きてはいける。だけど「生まれ育った土地」の姿を再発見していく著者が、とても羨ましく思えた。自分にとっての「里」を探してみようかな。生まれ育った街を頭に浮かべて本を閉じると、表紙に佇むオイヌさまが微笑んでくれたような気がした。

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