南沢奈央の読書日記
2017/04/14

疑心暗鬼は布団の中

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク


撮影:南沢奈央

 なんとも不快な夢を見た。
 自宅にて父母姉弟わたし、全員が揃っている。そしてわたしと同い年くらいの女性ひとり。父がその女性を、「彼女だ」と紹介してくる。夢の中のわたしは「へぇ~そうなんだぁ」なぞ平静を装い、父が父であることには変わりはないのだ、と割り切ろうとしている。けれど内心は、その彼女という人に対してかなりの嫉妬をして、ライバル心を燃やしているのだ。

 どうしてこのような夢を見たのか、それは田山花袋の「蒲団」を読んでいたからだ。妻子もあり、名の知れた作家である主人公・竹中時雄が、女弟子に浮かれまくっているのだ。子どもは文中にはほぼ出てこないのだが、どうしても娘目線で見てしまう。
 父の作品を崇拝して上京してきた女学生。今までそのような弟子入りの申し出には取り合ってこなかった父が、彼女を家に置くことにする。時雄はまだ34、5であるが3児の父である。子どもは父の変化に敏感だ。娘だったら、尚更だ。家に突如現れた若い女性と親しくしている父親を見たら、嫉妬せずにはいられない。
 ああ、やはり男性はみな、浮気をするものなのだろうか。わたしの父はどうだろう……。と考えていたら、想像から夢の世界へと行ってしまったのだ。

 実は、前にも同じようなことを考えて、悩んだことがあった。
 2007年、わたしの映画デビュー作『象の背中』が公開された時だった。癌で余命半年を宣告された主人公(役所広司さん)が、誰とどのように生きていくかを描いた感動作である。わたしは高校生の娘役を演じた。家族愛がひとつの大きなテーマである。当時も今もそのように思っている。
 だが、完成した映画を観て、正直複雑な気持ちにもなった。実はお父さん(役所さん)には、愛人(井川遥さん)が居た。更に、お母さん(今井美樹さん)より先に癌のことを伝えに行っている。入院中も「顔が見たい」と愛人に電話をしているのだ。
 もちろん、台本を読んでいるから分かっていた。けれど、当時17歳のわたしは、どうしてもすんなり受け入れることができなかった。仕事も出来て、家族仲のいいお父さんに愛人が居た、という事実を。しかも映画を観てくれた後にこんなことを言っている男性がいた。「女性は批判的だろうけど男は共感しちゃう。男は一度は浮気するもんなんだよ」
 この言葉が完全に頭に刷り込まれた。“男は”って一括りにしちゃってることに怒りの感情も一瞬湧き上がったが、直後急に不安が押し寄せてきた。わたしのお父さんも……なのか?
 それからしばらく悩んだ。もしかしたら自分が知らないだけで、彼女がいるのではないか。両親の寝室に入った時に父のデスクをチラ見して探ってみたり、父の様子を観察してみた。何も見つからなかった。

 10年経った今、その時の感情が再び呼び起された。ただ、時雄は惚れた女弟子に想いを伝えていない。単に自分の側に置いているだけなのだ。必死で自分を抑制している。
 だが、女弟子に恋人が出来たことを知ってからの時雄の動揺っぷりは、酷いものだ。昼夜関係なく酒を飲み、苦悶する。ようやく「つらい、けれどつらいのが人生だ!」と立ち直ったかと思うと、女弟子からの手紙がきっかけで、「保護しなくちゃいけない、今日はどうした、今はどうしている?!」とふたたび心が掻き乱されるのだった。その後も“温情なる保護者”として、夜に自分の書斎に呼び、また、“監督者としての責任”という口実の下に、彼女の机の引き出しや文箱を漁り、恋人からの手紙を盗み読むのだった。
 時雄は仕事も手に付かず、妻に当たり散らして酒を飲む日々。“本を読んでも二頁も続けて読む気になれない”ほどって、中学生の初恋かって突っ込みたくもなる。女弟子とどうにかなろうと実際に行動に移しているわけではないけど、もう時雄の態度を見れば、心を奪われていることは明らかなのだ。

 『象の背中』の父の密かな両想いと、「蒲団」の父の露わな片想いを目の当たりにして、不安になり、妄想して嫉妬するわたし。娘であり女であることを実感する。
癌の宣告を受けて様子が変わった父を見て、「彼女でも出来た?」と無邪気に聞いている映画の中の自分の姿が、勇者のように見える。

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク