南沢奈央の読書日記
2021/12/17

自分の意見を言うこと

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撮影:南沢奈央

 わたしはむかしから、自分の意見を言うのが苦手である。すすんで自分自身の話を人にすることもあまりない。
 相談することすらも苦手なわたしが、そのことを友人に話したことがあった。なぜ自分のことを話してみようと思ったかというと、その友人が、ちゃんと「自分はこう思う」ということを押し付けるでもなく主張できる人だったから。そして、いつも人の話もていねいに聞いてくれるのだ。
「でも、聞けばすごく楽しそうに話してくれるよね」と微笑んでいる。
 たしかに、聞かれれば話す。だけど、“これ言ったら相手がどう思うかな”といった考えが少しでもよぎると、言えなくなることが多い。特に何か意見や考えみたいなところは、押し殺して相手に合わせたりしてしまうことがままある。それでうっすらとストレスが堆積してしまうことも分かっているのに。
 自分の思ったことを口に出して言えるようになりたい。そう吐露すると、友人はやはり微笑みながら言った。
「“自分の意見を言うこと”が大事なように思えてしまうけれど、もっと大事なのは、“それが受け入れられないこともある”というのを知っておくことだよ」

 

 ブレイディみかこさんの『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』を読んで、その友人の言葉を思い出していた。
 この本は、「一生モノの課題図書」と謳われ、80万人が読んだという前作の続編で、著者と13歳になった息子「ぼく」のイギリスでの生活を綴ったエッセイだ。
 生活が綴られつつもおどろくのは、あらゆる社会問題が日常に登場するということだ。貧困問題、人種差別、性の問題など。
〈こういうトピックは、ふつう新聞やニュースで見るだけの事柄(わたしなら見て書くだけの事柄)で終わりがちだ。しかし、ティーンの子どもがいると、そういうことが日常的に食卓の会話にあがってくる〉という。
 自分が13歳の時にそういった社会問題と向き合えていたか考えると、決してそんなことはなくて、そのこと自体にも感心してしまったが、〈日常的に食卓の会話にあがってくる〉ことがもっと凄いことだなと思った。
 実際に、「第三の性」とも表現される「ノンバイナリー」についての話題が出たときには、いまいち理解できていない父ちゃんが、学校にノンバイナリーの教員がいるという息子にいろいろ質問したり、それに答える息子を見て、また母ちゃん(著者)が別の角度からの意見をしたり。それぞれの意見すべてが肯定されるわけではなく、親子であっても、いち人間同士の対等な関係性でもって意見を交わしている様子がとても印象的だった。
 ただし、何か自分の意見を述べるためには、よく考える必要があり、よく考えるためには、よく知る必要がある、ということ。そして、導き出せた結論が「わからない」でもいいし、相手に受け入れられないこともある、ということ――。相手へのリスペクトを持って、やさしく、たくましく成長する13歳の「ぼく」の背中を追いたくなった。

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