南沢奈央の読書日記
2017/05/26

酒の中に真あり!

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撮影:南沢奈央

 わたしはお酒が好きである。地方や外国に行ったら、その土地のお酒をいただくのが楽しみのひとつである。
 以前、宮城に旅行に行ったときに酒蔵に行ったことがある。もとい、酒蔵に行ってみたくて、ひとりで宮城に旅行に行ったことがある。仙台から電車に揺られること約40分、駅に着いてみるとどうやら歩いて行けるような距離ではなく、バスもないし、タクシーも見当たらない。タクシー会社に電話すると、「町に一台しかいないからいつ行けるか分からない」と言われ、わたしは立ちすくんでしまった。酒蔵見学の予約時間も迫っている。旅の一番の目的を果たせないのだろうか……。焦りや困惑、孤独が顔に、いや、全身から溢れ出ていたことだろう。
 ふと後ろから聞こえてきた「どこまで行きたいの?乗っていく?」という渋めの優しい声がなかったら、わたしは泣き出していたかもしれない。声の主は、駅前で何かの修理をしていた60代くらいのおじさんだった。仕事が済んだようで、わたしが困ったように電話をしたり、地図を広げたりしている様子を見て、声を掛けてくれたのだそうだ。いつものわたしならば見知らぬ人に話し掛けられるだけでも警戒するし、ましてやその車に乗るなんて、絶対に有り得ない。
 だが、わたしは迷わず「はい、お願いします!ここの酒蔵まで!」と即答していた。その方がとても親切だったからいいけれど、今思うと自分の行動が怖い。道具箱がカチャカチャと音を立て、油のような臭いのする車で15分ほどドライブしていた時間が嘘みたいだ。お酒の為にここまでするのか、と自分でも驚いた。いやお酒の為ではない、旅の目的を果たす為、である。

 「私は酒飲みである。休肝日はまだない」と宣言する高野秀行さんも、お酒への想いがかなり強い。お酒の為に努力や時間を惜しまず、どんな場所でも飛び込んでいく。“飲みたいと思ったらすぐ行動する”という機動力、“ここにはお酒がありそう”という異常な嗅覚、“ぜったいに手に入れるのだ”という執着心を、忌憚なく発揮させる。それも、お酒が禁じられている、イスラム圏で。
 『イスラム飲酒紀行』というものが成立していることに、まず驚かずにはいられない。そして興味を持たずにはいられない。このタイトルの通り、著者である高野さんがイラン、アフガニスタン、シリア、ソマリランド、パキスタンなどのイスラム圏で、お酒を求め、さらには地元の人たちとわいわいと飲み交わしていく。
 特にイランは厳しく、秘密警察が見張っていて、お酒の所持が見つかると即逮捕で、監獄行きだ。だが高野さん曰く、国家レベルでは飲酒厳禁だが、個人レベルでは中東で最も酒飲み率が高い気配を感じるのだとか。イラン人は、日本人の比にならないくらい「建前」と「本音」を使い分けているということも、お酒を通して発見することができたのだから、高野さんのお酒への執念はまったく無駄になっていない。むしろお酒があるから国民のリアルな姿を見ることができている。さらに一緒に飲み交わすことで、相手の本音が出てきたりする。
 お酒から見るイスラム圏は、わたしにとってかなり新鮮で、衝撃的だった。だけど何だか、“お酒好き”という共通点を見つけるだけで一気に親近感を覚え、現地のお酒を飲む人と出会うたびに、高野さんと一緒に嬉しくなっている自分もいた。楽しい旅だった。

 わたしはお酒好きである。そう言われるだけで嬉しい気持ちになったり、一気に身近に感じたりする。
 わたしもお酒好きである。そう言うだけで、喜んでくれる人がいたり、意外だと驚いてくれる人がいる。
 お酒から広がる新たな出会いを求めて、また旅に出てみることにしよう。その前に、景気付けの一杯も忘れずに。

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