南沢奈央の読書日記
2017/06/09

あたたかさを繋ぐ声

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撮影:南沢奈央

 わたしが人生の中で最も長く続けた習い事。それは合唱だ。とは言え、他にやっていたピアノやスイミングなどと比べて“習い事”という感覚がなく、“趣味”に近かった。
 先にやっていた姉を追って、小学校一年生の時に地元の合唱団に入団した。それから約10年間毎週のように公民館に通い、違う学校のさまざまな学年の子たちと声を合わせて歌った。いまだに合唱団の友達との交流は続いているし、演奏もときどき聴きに行っている。団員の世代が変わり、わたしはいつの間にかお母さん方に年齢が近くなってきているのだが、見ているとやっぱり歌いたくなる。指揮と伴奏の先生は会うたびに必ず、「いつでも歌いに来てね」と言ってくれる。
 つい先日見に行った、ショッピングモールの特設会場での演奏の時、歌いながら寝てしまっている小学生の男の子がいた。立って口を動かしながらも、目は瞑っていてフラフラとしてしまっている。何とも可愛らしい姿だった。見ていた親御さんはひやひやしたかもしれないけれど、わたしはその男の子の気持ちがよく分かる。自分も(さすがに本番ではなかったが)練習中に、歌いながらよく寝てしまっていた。もちろん客席の方がきれいにハーモニーが聴こえるけれど、合唱は、歌っている声の中にいると、何とも心地よいのだ。歌声に、包まれる。わたしは、ひとりでは作り出せないこの合唱の空間が好きなのだ。
 だがわたしは、学校での合唱が少し苦手だった。映画『うた魂♪』の一場面で、高校合唱部の主人公が憧れの人から歌っている姿を見られ、「産卵中の鮭みたい」と言われるシーンがあったが、口と目を大きく開いて歌う姿を学校の同級生に見られるのが恥ずかしかった。一生懸命やるのがカッコ悪いという学生特有の照れも相まって、合唱に全力で取り組めなかったこともあった。

 だから、ただ歌を届けたいという一心で合唱に取り組んでいる、この中学生たちが羨ましい。中田永一さんの「くちびるに歌を」を読んで、戻りたい過去はないと思っていたわたしも、学生時代に戻りたいなぁ……などとセンチメンタルな気持ちになってしまった。
 この物語の背骨となるのは一つの曲。NHK全国学校音楽コンクール、通称・Nコンの課題曲「手紙~拝啓 十五の君へ~」だ。わたしも合唱団で何度も歌った大好きな一曲だ。産休に入る顧問の代役として来た“元神童・自称ニート”の美女と、家族や友人、恋愛で悩む中学生たちが、この曲を通して、それぞれの心のコリをほぐしていく。
 合唱をしていると、悩みから解放され、声を輝かせる。女子部員がたのしそうに歌っているところを見て、“しあわせな光景”だと感じる男子部員・サトル。サトルは自閉症の兄を持ち、部活動にも入らず友だちも出来ず、ひとりぼっちで過ごしていた。学校ではほとんど声を発することがないくらい内気なサトルが合唱に出会い、自分の声を出し、周りと声を重ねていく。そしてサトルは気付く。みなの声が合わさった音のうずの中はあたたかい。
 
 わたしはこのあたたかさが恋しくなった。
 今また「手紙~拝啓 十五の君へ~」を聴き、自分のメゾソプラノのパートを口ずさみながら、15歳のときの自分に思いを馳せる。ちょうど高校受験に集中し始め、思いがけず事務所からスカウトされて仕事をやるかで悩んでいて、合唱から離れ始めた時期だった。
 そしてまた、中学生たちのように15年後の自分を想像してみる。42歳の誕生日を控えたわたしには、小学生くらいの子どもがいるだろうか。現在合唱をやっている弟が15年後も続けていたら、子どもがそれを見て興味を持ってくれたりするだろうか。姉とわたしと弟の歌う姿を見て最近合唱を始めた母のように、15年後のわたしも、音のうずの中にふたたび入っていけたら、幸せなことだろうと思う。

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