南沢奈央の読書日記
2019/04/12

京都の中と外

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撮影:南沢奈央

 今からちょうど10年前。2009年4月、桜咲く京都で、わたしは初舞台を踏んだ。それも、日本最古の劇場・京都四條南座。それもそれも、上演したのはシェイクスピア作品。高校を卒業したばかりの18歳のわたしは、これがどれほど凄いことか、まったく分かっていなかった。
 正直言って、南座の舞台からの景色は、「これが本物の花道かぁ」と思ったような、ぼんやりとした記憶があるくらいで、緊張のあまり、ほとんど覚えていない。
 だけど今でも時々、思い出すことが一つある。天井が低めの畳敷きの楽屋に入ったときの感覚だ。“感じた”のだ。霊感なんてない人間なのだけど、なにかの気配を感じた。そしたら、共演者の方やスタッフさんも「ここはいるよ」と言っていた。江戸時代から続く芝居小屋、という実感が少しだけ湧いた……。別に超常現象を体験したとかではないのだが、言葉では言い表せない空気を感じながら初舞台の幕が開けたのだった。わたしが京都の劇場で舞台公演をやることはそれ以来なく、とても貴重な経験だったと今になって噛み締めている次第。
 その後は、ドラマの撮影で京都を訪れる機会が多くなった。太秦の撮影所だ。ここで時代劇の撮影をするということ。俳優として、一度は経験したいと思う憧れの場所だ。
 ただこの撮影所でも、「ここ出るよ」話はよく耳にする。スタッフさんから実体験として聞くこともあるし、宿泊場所を予約してもらう際に、撮影所前のあそこは避ける人もいるけど大丈夫かという確認をされたり……。
 怖い話のようだけど、不思議と恐怖は感じていなかった。

 綿矢りささんの『手のひらの京』は、京都を舞台にした3人姉妹の物語だ。長女・綾香は31歳、図書館に勤めている。次女・羽依は大企業の新入社員。三女・凛は大学院生で就職を考えている。京都で生まれ育ち、実家で両親と5人で暮らしている奥沢家。
 京都出身の著者によって描かれた京都は、仕事や旅行で訪れる我々が見る京都とまた違う顔を見せる。特に進路で悩む凛が、京都という街に対して抱いている思いが内側からの目線で興味深かった。
 たとえば、京都に憧れを持って広島からやって来た友人に、京都のことを褒められると、「凛の頭の中には素敵とは言い難い京都の面がかけ巡る」。「一つ通りが変わるだけでがらりと変わる町の雰囲気、きっと他の都道府県にはない複雑な京の歴史が絡んだ、なんとも言えない閉塞感」を感じ、「もやもやした感情が澱のようにたまってきて、もがくときがある」という。「山に囲まれた景色のきれいなこのまちが大好きやけど、同時に内へ内へとパワーは向かっていて、盆地に住んでいる人たちをやさしいバリアで覆って離さない気がしてる」。
 京都が持つ独特な力について言及されていく。「地縛霊」という言葉が出てきたときに、妙に腑に落ちた。南座や太秦で感じたものはそれかも、と思った。“パワースポット”と言われている場所も、もしかしたらそういった力が宿っているのかもしれない……。と、京都で感じていた、妙な雰囲気の正体に近づいた気がして、わたし的には少しスッキリした。

 京都の持つ力は本書の見どころである、3姉妹の葛藤の行方にも通ずる。結婚したいと思うあまり、慎重に憶病になってしまっている綾香。男性からモテて、女性からはいけずをされる、そんな振舞いをしてしまう羽依。家を、故郷を離れたいと願う凛。
 それぞれが、内にある弱さと対峙していって、殻を破っていく姿が描かれている。
 3人とも、囲われていて、よく言えば守られている京都の、さらに囲われ、守られている実家に住んでいる。一人一人が持つ、内の弱さというのも、出来れば囲いたいし守りたいものだ。本書は中から外へ出る戦いをしている子どもたちの話なのだなぁと、ついつい、今絶賛稽古中の、子ども部屋に居続ける子どもたちを描く舞台「恐るべき子供たち」(ジャン・コクトー原作)に寄せて、考えてしまうのだった。

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