南沢奈央の読書日記
2017/09/15

好きな人をもっと

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撮影:南沢奈央

 わたしにはかつて“ハリーポッター”というあだ名があった。小学生のころから視力が悪く、丸い眼鏡をかけていた。別にそのあだ名が嫌と思ったことはなかったし、むしろ学校で眼鏡をかけていることが他の人と違ってカッコいいと思うくらいだった。そんなわたしがコンタクトを使い始めたのは、中学一年生の終わりの春。ひとつの恋がきっかけだった。
 同じバスケ部で、二つ上に憧れの先輩がいた。バスケはもちろん上手で、体育祭では応援団長をやるような、周りから慕われている人だった。休み時間に廊下ですれ違えないかなぁとか、帰るタイミングが一緒にならないかなぁ、と胸をときめかせる毎日だった。でも学年も違うし、なかなか顔を合わせることはなかった。
 あっという間に3月になって、いよいよ卒業式までのカウントダウンが始まっていた時、ちゃんと先輩の顔を見たい、と思った。レンズ越しでもなく、眼鏡のフレームもない状態で。
 そしてわたしは、先輩の卒業式の日、“ハリーポッター”を卒業した。自分が願ったように、しっかり見えた。だけど見えたのは、先輩が同級生たちと共に寂しさや嬉しさを分かち合っている姿だった。自分とは違う場所にいるんだと思い知らされた気がして、切なくなった。コンタクトで見えた世界は鮮明で、広かった。

 こんな甘酸っぱい恋の思い出が蘇ってきたのは、島本理生さんの『よだかの片想い』で、24歳にして初恋をする主人公アイコを見たからだ。
 アイコは生まれつき顔に大きなアザがあり、恋も遊びもせずに、大学院で研究に没頭していた。あるとき、アザについての取材を受け、それを映画化したいという監督の飛坂逢太と出会い、恋をする。
 初めての恋をするアイコは、とにかく真っすぐだ。まだデートしている最中に「次はいつ会えますか」と聞いてしまう。飛坂さんからは「余韻を楽しむとかかけひきとか、そういうことができない人なんだな」と苦笑される。気持ちが抑えられなくなって、「好きです」と思いがけず口から出てしまうところを見ると、理性とか忘れるくらいに、心の底から恋をしているんだということがよく分かる。だけど、「幸せにしてあげることはできないと思う」と返されて「なにもいりません」と言ってしまうのは、さすがに心配になってしまう。
 顔のアザにコンプレックスを抱えながらも、「一度、化粧したら、ずっとそれを続けなくちゃいけない」からと隠すようなことをしてこなかったアイコは、恋でも同じなのだ。好きな人の前で、自分を良く見せよう、相手に好かれようと無理すると、それをずっと続けなければならないと分かっている。だから、初めからありのままをさらけ出している。恋愛においてはうまくいかない時もあることを知らずに。

 アイコの真剣さを見ていると、とてもじれったくて、もどかしい。だけどひとつ、“わたしでもそうする!”ととても共感できたことがあった。それは会えない期間に、飛坂さんが前に雑誌で紹介していたおすすめの映画50本を、全部見たことだ。わたしも、恋愛に限らず相手のことを知りたいと思ったら、おすすめの本を教えてもらって、読んだりする。するとその人の好みや考え方が少し分かるような気がするのだ。
 それに、逆にわたしが勧めた本を誰かが読んでくれると、ああ私のことを信用してくれているんだ、知ろうとしてくれているんだ、と嬉しくなる。好きな人のことをもっと知りたいと思ったら、その人の好きなものを知るべし。
 そうだ。わたしが読書好きになったのも、好きな人からある本を勧められたからだった。

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