南沢奈央の読書日記
2020/06/12

バケツの水

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撮影:南沢奈央

 佐藤愛子さんと小島慶子さん、年の差50歳というふたりの女性の手紙のやりとりから、人生とは何かを考えさせられる『人生論 あなたは酢ダコが好きか嫌いか』。
 人生の先輩方の言葉には、色んな意味で励まされる。
 はっきりとした物言いで強気な印象の小島さんは、意外にも(と言ったら失礼だろうか)、さまざまなことに悩んでいる。夫のことや日本とオーストラリアの2拠点生活について、文章を書くこと、孤独について……。それらを、赤裸々にストレートな言葉で吐露し、佐藤さんにぶつける。
 佐藤さんは笑い飛ばしながらも、鋭い言葉を返す。
「夫はなぜ、私の孤独と不安にこうも無頓着なのでしょう」という小島さんに対して、「バケツの水をぶっかけてごらん」と答える。佐藤さん自身も実践済みだそうで、会社社長であるにもかかわらず丸2日姿をくらませて麻雀に興じていた夫がノコノコ帰ってきたときに、雑巾バケツの水をぶっかけたのだとか。「鈍感は寛容という美徳になる」。夫が一切怒らないところを見て、「私のような厄介なヤバン人が結婚出来たのは、彼が鈍感であり即ち寛容だった」からだと言う。

 このバケツの水をぶっかける戦略に対して、「水をかけた後、そこらを拭くのがメンドくさい」と考えてしまう小島さんの人柄もよく分かる。夫に殴りかかる時も、よろめいて何か物を倒さないようにリビングの真ん中を選ぶという、気の遣い様。
 佐藤さんに言わせると、「ソレがイカン」、「私に言わせると浅慮も甚だしい」、「夫婦喧嘩の真髄に迫っていない」!
 このように、色々な局面で大真面目に悩んでしまう小島さんに対して、バケツの水をぶっかけるように答える佐藤さんの言葉にこちらまで目が覚めてくる。
 特に、「気に障ったら讀み捨てて下さいなんていいませんよ! 心して讀め!」と始まる佐藤さんからの最後の手紙。小島さんが「不覚にも涙が出ました」と言うように、厳しくも真心を持って向き合ってくれている佐藤さんの人間が見えた。バケツの水をぶっかけられて、最後には水の入ったバケツを渡されたような気分。胸に刺さる名手紙であり、名文章だった。
 人生の先輩である小島さんが真剣に悩んでいるところを見ると、あぁ、わたしなんかが壁にぶつかるのは当然なのだなと思えてくる。もう1世紀近く生きてらっしゃる佐藤さんが「『本質を見極める』ことがいかにむつかしいか」とはっきり言うところを見ると、あぁ、わたしなんかが本質を見誤るのは当然だなと思える。
 人生これから、まだまだ壁にぶち当たる。20代最後に手に取った本は、その覚悟が決まる一冊だった。

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