南沢奈央の読書日記
2020/04/17

生成くんと本

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KAAT神奈川芸術劇場プロデュース「アーリントン」〔ラブ・ストーリー〕

「本を読んでいる」
 ある日稽古場で、休みの日に何をしているのか聞くと、そう答えた。好きな作家さんのサイン会には、ちゃんと自分で申し込んで足を運ぶという。わたしが、仕事で作家さんに会える機会があることを話すと、ずるいと言って、拗ねていた。
 本当なら今、一緒に舞台に立っているはずだった平埜生成くんは、きっと、よっぽど本が好きなのだと思う。
 役者は生成くんとわたし、そしてダンサーの入手杏奈さん。出演者は3人の小さいカンパニーで、白井晃さん演出のもと、4月11日の初日に向けて、舞台の稽古が始まったのは3月上旬だった。濃密な稽古が進み、ようやく全体像が見えてきたかなという頃、稽古時間が短縮されるようになった。4月に入ると、開幕が25日まで延期することが決まり、わたしたちは1週間の自宅待機となった。
 経験したことないことばかりがつづく。本番を迎える直前に1週間も稽古できない。ここまで積み上げてきたものを維持、いやむしろ、それ以上に持っていかなくてはならない。ここまで抑えてきた不安が一気に膨らんで襲ってきた。
 どうして過ごそうかと悶々と思案しているときに、生成くんが一冊の本を薦めてくれた。

 励まされたような気がした。普段でもうれしかったと思うが、状況が状況だけにたったそれだけのことで、何だか少しホッとしたのだった。興奮気味に、わたしも4冊の本を薦めた。
 読みかけだった本を読み終えて、いざ薦めてくれた本を読み始めようと思ったとき、舞台の全公演の中止が決まった。

 そしてわたしは、またちがう感情でその本と向き合った。
 凪良ゆうさんの『流浪の月』。2020年の本屋大賞を受賞して話題になっている小説だ。
 この読書日記を始めてから初めて、メモを一切取らずに最初から最後まで一気読みしてしまった。
 本書の中心にいる人物ふたりは、著者が描かんとした「どこまでも世間と相いれない人たち」だ。世間の“普通”からは逸れていた家庭で育ってきたのに“ルール”に従わなくてはならなくなった更紗と、“ルール”に縛られてきたが実は“普通”ではないものを抱えていた文。
 更紗の家庭は、周りから見れば「やばい」と思われるくらいの自由な家庭だった。社会の常識なんてものとは無縁の、我慢をしない生き方をしてきた両親の元で育ってきた。
 だが、父親の死をきっかけに母親も失踪してしまい、9歳のときに伯母の家に預けられることになる。そこで、気付く。「わたしの常識は伯母さんの家の非常識である」ということに。伯母には嫌な顔をされ、従兄である中2の孝弘にはいやらしい変な目で見られる。居場所なんてなかった。帰りたくない。
「うちにくる?」と、雨降る公園で声を掛けてくれたのが、“ロリコンで危ない人”と同級生の間で噂されていた、19歳の文だ。だが家について行っても、噂されていたようないかがわしいことは一切する気配もなく、食事も寝る場所も与えてくれて、丁寧に世話をしてくれる。
 文は、母親の教育で、育児書というルールブックが絶対であることを守り続けてきた。伸び伸び育ってきた、いかにも対照的な更紗に少しずつ影響を受け始め、自由を手に入れたふたりの幸福な生活が始まる。
 しかし世間が見れば、ふたりは「加害者」と「被害者」だった。このレッテルが貼られてしまった途端、ふたりは引き離され、それぞれ「加害者」「被害者」として不自由な生活をし、数年後、再会することになる――。
 どうせ自分のすべてを分かってくれる人などいない。周りがくれる理解も同情も共感も、苦しめるだけ。それぞれの視点で真実が描かれていく中で、ふたりの持つ孤独と、それを癒せるのがお互いしかいないということが痛いくらいに見えてくる。
 世間が作り上げて、わたしたちが思い込んでしまっている“普通”“ルール”“常識”って、なんなのだろう。
 それによって真実が見えていないとしたら、すごく窮屈なものなのかもしれないと思った。同時に、更紗と文が幸せになってほしい、と強く願った。

 読んでいるあいだ、舞台中止のショックを一瞬忘れていた。そもそもわたしが現実から逃げるようにして本を開いたから、余計に世界に没入していたのかもしれない。
 逃げる場所を求めてもいいのだ。
『流浪の月』と同時に、本を読むことをすすめてくれた生成くんに、感謝。
 舞台の中止が決まったとき、生成くんはわたしが薦めた本をすでに3冊読み、4冊目を読み始めたところだったという。
 一緒に稽古してきた舞台や好きな本……同じ物語を共有する、特別な仲になれたような気がする。
 そして今、本に救われている人はわたしたちだけではないはずだ。物語の力を、信じたい。

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