南沢奈央の読書日記
2023/09/08

じぶんひとり

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撮影:南沢奈央

 ひとり時間が苦手になってきた。
 今まではひとり時間が得意だった。休みの日になれば、ひとりで映画を観に行く、ご飯を食べに行く、ドライブする、飲みに行く。年に1回はひとりで海外旅行にも行っていた。休日は家でゆっくりするよりも、外に出たいタイプだった。
 だが近頃、ひとりで何かをするエネルギーが湧いてこない。その日になって、何しようかとぼうっと考えているあいだに一日が終わってしまうことも多い。かつてのフットワークの軽さもどこへやら。近所のカフェで読書して、近所のジムで運動して、近所の銭湯でさっぱりして、と徒歩圏内で過ごしてしまうことが増えた。
 先日久しぶりに、ふと「そうだ、山に行こう!」と思い立って、前日にわくわくして寝られないくらいにエネルギーが湧いたことがあった。だが、翌日起きたら昼の12時近くになっていた。アラームが鳴っても起きられなかったのだ。あんなに楽しみに計画を立てたのに。結局その日は、家で溜まった録画を見たり、部屋の片づけをして終わった。ふいに、「ひとりだ」という孤独感が襲った。
 ひとりの予定というのは、“縛られない自由”の良さがある。行くも行かないも、当日の気分で決めればいい。行先も時間も自分次第。だけどその分、何かをするには行動するエネルギーが必要である。以前は自然とそのエネルギーが発揮されていたのだが、近頃はひとつスイッチを入れないと湧いてこない。数日後、友人と登山の約束をした朝は、4時にしゃきっと目が覚めた。

 

 でも一方で、ひとり時間を大切にしたいと思う。
 ひとりだからこそ、その体験を通して自分と向き合える。その感覚がわたしは好きだ。
 銀色夏生さんの『私たちは人生に翻弄されるただの葉っぱなんかではない』を読んで、その感覚を思い出すことになった。もちろん読書はひとりですることだ。だけど、ひとり時間を強く意識する読書体験となった。つまり、この本を読むこと自体が、自分と向き合うことになっていたのだ。
 この本は、銀色さんが日々考えていること、生きる上で大切にしていることなどが、言葉とイラストによって綴られている。
 銀色さんの著書を読むのはこれが初めてだが、この本を読んで、この方は自分自身に向き合ってきた人なんだろうな、という印象を受けた。だから一般常識とかに振り回されないような、自分自身で判断できる芯がある。
「何事にも動じない」「承認欲求がない」「怖いことがほぼない」という表現も出てくる。そうなりたいと単純に思ってしまうが、銀色さんがその境地に達するのに、どれだけ自分に向き合ってきたかが、言葉の端々から感じられる。
 “常識では”とか、“一般的に”とか、そういうふわっと漠然としたエピソードはひとつもなく、“自分が”良いと思うこと、“自分が”いやだと思うこと、というように、主語はあくまで“自分”だ。物事を判断する上で、自分がどう思うか。何かを体験したときに、自分はどう感じるか。周りに影響されずにどれだけその感覚を持てるか。そこにたどり着くには、やはりひとり時間が必要なのだと思う。
 銀色さんは言う。
〈ひとりの時間を過ごせば過ごすほど忘れていた自分自身を思い出していきます〉。ひとりの時間では〈より深く自分の考えの中に沈んでいける〉。〈その時に自分の心の底から浮かび上がってくるものを見たり、いろいろ考えたりすると思うのでそれが楽しみです〉。

 せっかくの休みだからと、何か新しいことをしなくては、行動しなくては、とわたしは思っていた。だけどアクティブな刺激を求めるひとり時間だけではなく、思考する静かなひとり時間もある。
 休日のひとり時間を、あえて家で過ごす。豊かな孤独と出会えるかもしれない。

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