南沢奈央の読書日記
2021/03/26

この本がフリーズドライの味噌汁、というわけではなく、

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撮影:南沢奈央

 まるでフリーズドライの味噌汁のようだ。
 星野概念さんの『ないようである、かもしれない 発酵ラブな精神科医の妄言』を読み終えて、ノートにメモした最初の感想がこれだった。ちょうど夕飯にフリーズドライの味噌汁を食した影響は大いにあるが、今自分の頭の中を言い表すにはぴったりなのだ。そうそう、この本がフリーズドライの味噌汁、というわけではなく、自分の考えや価値観などがフリーズドライの味噌汁。
 ブロック形のフリーズドライの味噌汁をお椀に入れ、お湯をかける。すると、一瞬でほぐれる。凝縮されていた具が膨らみ、お湯の中で浮遊する。かき混ぜてあげると、味噌も均一に行きわたり、あっという間に味噌汁の完成だ。
 この本は言ってみれば、お湯の役割をしてくれる。あたたかい言葉で、わたしたちの凝り固まった思考をほぐしてくれる。まず、自分の中に勝手な先入観や決めつけがあったことに気づき、物事を多角的に、さらにはクローズアップして観察することができるようになる。ブロック形のときよりも曖昧で不安定な気もするが、それぞれの具や味噌の境界線がなくなり、自由に浮遊する様子は「なんかいい」。

 この本は、「あとがき」から言葉を借りると、著者の中に〈雑然と散らばっている「なんかいい」というものが、なかなかな密度で並んでいる〉一冊。
 漫画家・榎本俊二さんの可愛いイラストと柔らかい黄色の表紙、そしてサイン本(!)ということに惹かれて書店で手に取ったが、精神科医の先生の本ということで、中身は少々お堅いものをイメージしていた(これもきっと勝手な先入観)。でも実際開いてみると、専門的なむずかしい言葉が出てこないうえに、「ですます調」とゆるりとした文章のテンポがとても心地よい。「なんかいい」が詰まっているから、全体の雰囲気もなんか楽しいのである。
 著者の肩書が「精神科医」ではなく「精神科医 など」となっていることが表すように、曖昧さをあえてそのまま表現している。「ない」でも「ある」でもなく、「ないようである」という独特の実感を、全20話を通して捉えようとする。
 著者の言う「ないようである」とはどういうことか。この絶妙なニュアンスを説明するのはむずかしいのだが、たとえば第14話「どうしても生じてしまう圧は、」では、「『ないようである』圧」について考える。
 著者は以前高齢者の入所施設に白衣を着て行ったときに、入所している方から「白い服がこわい」と言われたことがあり、〈自分が医師であるという事実を醸し出さざるをえない「ないようである」圧〉を与えてしまっていることに気がついたという。同時に、著者自身も美容院に対して〈「ないようである」オシャレの圧〉を感じて怖かった時期があるという経験を思い出す。
〈五感で簡単に捉えることはできないのに間違いなく存在している「ないようである」〉なにか。
 圧に関して言えば、それが人とのコミュニケーションにおいて障壁になってしまうこともあり得る。だけど反対に、居心地の良い場所に漂う〈「ないようである」楽な雰囲気〉や、信仰などのような〈「ないようである」なにかしらの現象〉などポジティブな方向の「ないようである」なにかが、わたしたちを助けてくれたり、「なんかいい」気持ちにさせてくれたりもする。
 だからこそ、「ないようである」なにかを見つけたら、わかろうとする。「そもそも」と物事を掘り続け、それでも「かもしれない」と答えを決めない。その姿勢でいるだけでも、日常生活が少し豊かに、心が少し楽になりそうだ、と著者ののびのびした思考を辿って思った。
 さまざまな人が「なんかいい」と思える要素が詰まった、人を選ばない一冊。とりあえず一回、このあたたかいお湯を浴びてみてください。きっと、あなたの中に新しい味わいが広がります。

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