南沢奈央の読書日記
2017/05/12

若葉色のターフ

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撮影:南沢奈央

 春は出会いの季節。それは間違いないけれど、わたしはあえて言いたい。
 春は競馬の季節。競走馬として選び抜かれ、鍛え抜かれたサラブレッドがたったひとつの栄冠を目指す。才能と鍛錬と運が、格式あるGIレースを舞台に、わずかな時間で試される。
 わたしは以前2年間、競馬の番組のナビゲーターを務めさせていただいたことがある。番組は、競馬を愛する著名人や、実況者、騎手、調教師の方から、競馬の魅力を教えていただくというものだったので、わたしが競馬に関してずぶの素人だったのは問題なかったのだが、そんなわたしでも、武豊騎手とディープインパクトのことは知っていた。だから武豊騎手と対談、そしてディープインパクトと対面できたときには、感動と共に、光栄の至りだった。
 伝説の競走馬・ディープインパクトのオーラと貫禄は、凄かった。引退してから7年近くも経っているというのに、体は引き締まっていて、活力に溢れ、牧場を軽やかに駆ける姿を見ていると、今すぐにでもレースに参加できるのではないかと思う程だった。もっと早く競馬と出会っていれば、武豊騎手に“すべての面でほかの馬を圧倒している”と言わしめた最強馬の本気の走りを生で見られたかもしれないのに……ただ、ディープインパクトの血を継いだ多くの馬たちが大活躍しているというから、血の繋がりのロマンを感じる。
 競馬では血統が重要視されている。血統がちゃんと認められた“サラブレッド”であるかどうかで、馬の価値も変わり、レースに出られるかにも関わってくる。岡嶋二人の「焦茶色のパステル」でもその点が色濃く描かれている。この小説は、東北の牧場で、二人の競馬関係者と二頭のサラブレッドが銃殺され、事件の裏に隠れている真実を追いかける、競馬ミステリーだ。

 ミステリーは、わたしが中学生のときに読書好きになったきっかけでもある。登場人物と一緒に推理しながら読んでいき、探偵気分を味わえるワクワク感が好きだ。だが、推理で頭を使うし、伏線などを忘れないように短時間で一気に読んでしまいたいタイプなので、日々の忙しさを言い訳に、手をつけるタイミングを失って、気付いたら1年も経っていた。そして最近、インスタグラムで“おススメのさわやかな一冊”として紹介してもらった中で、「焦茶色のパステル」という可愛らしい響きのタイトルがふと目に入り、手に取ったら思いがけずミステリーだった、というわけである。
 久々に味わうこの読後感。フルコースを完食したときのような達成感と満足感に浸りながら、なるほど、爽快な気持ちにさせてもらえた。岡嶋二人のミステリーは初めてだったが、事件の謎を解いていくために少しずつ情報が与えられて、広がってきて迷子になりそうなところで回収へ向かうこの展開に、ドラマ撮影の空き時間にも台本を横目につい没頭してしまった。主人公がどの登場人物よりも競馬に関して無知であるお陰で、前提知識をもたなくとも、物語の世界に入っていける。
 今もなお頭に残って離れない登場人物がいる。作品名にもある、撃たれたうちの一頭である、パステルだ。パステルは、登場人物の中で一番多くのことを語っていた。ディープインパクトのような伝説のサラブレッド・ダイニリュウホウが父で、その血を受けたとされる期待の仔馬だった。物語の最後、そのパステルが残した遺言を読み解いたとき、馬一頭の見え方がまったく変わってくるのだ。
 わたしはミステリーのおもしろさに再会し、新たな競馬の魅力と出会った。早速また爽快さを感じたくて、ミステリーを手に取っている。そして今週末、牝馬たちの熱き闘いヴィクトリアマイルが行われる。出走予定のディープインパクトの若き娘たち4頭が、新緑のターフを駆け抜ける姿をしっかり見届けたい。

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