南沢奈央の読書日記
2017/11/03

椎茸の恩返し

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撮影:南沢奈央

『妻が椎茸だったころ』。
平積みされていたわけでもないのに、この本が、というよりこのタイトルが目に飛びこんできた。見てしまったら、素通りすることはできない。
 これは表題作をはじめ、ちょっと不思議な感覚にさせられる作品5篇が収録された、中島京子さんの短編集である。“不思議な感覚”を他の言葉で表現できないかと考えていたところ、「鶴の恩返し」が頭に浮かんだ。ある日鶴を助けると、娘がやって来て美しい布を織り、幸せに暮らしていく。娘に姿を変えてやって来た鶴は気付かれないように恩返しをしていくが、「機織りの間は絶対に中を覗いてはいけない」という約束を破られ、正体を知られてしまい、去っていく、というお話。
「鶴の恩返し」は読んだというより、聞かせてもらったという印象が強いのだが、一体誰からそうしてもらったのかは思い出すことはできない。だけどはじめて知った時、子ども心に、何とも言えぬ気持ちになった記憶がある。欲に負けて約束を破ってしまったけれど、本来鶴を助けてあげるような心の優しい人と、命懸けで恩返しにやってきて秘密を知られてしまったら潔く去っていく鶴。鬼とか山姥とかが出てくるわけではないのに、ちょっとだけ怖いと思った。
 本書を読み切った時に、この5つの物語を知ってしまった今、読む前の感覚には戻れないと思った。開けてはいけないと言われた扉を開けてしまった感じ。でも、パンドラの箱というわけではない。“正体”を知った時に、怖いという感情の他に、どこか温かさや愛おしさも湧き上がってきたからだ。

 表題作は、妻を突然亡くし、予約してあった料理教室に代わりに行くことになった夫の話だ。甘辛く煮た椎茸を持ってきてくださいと言われ、料理に縁がなかった60歳の男性が椎茸と格闘する姿は滑稽である。そして妻の残したレシピノートに、謎のメモを見付ける。「私は椎茸だった」。それから料理教室で様々な体験をしたり、妻のレシピで料理を作っていくことで、その意味を知っていく。
 入り口は日常なのに、いつの間にか非日常に迷い込み、最後には鮮やかな出口が待っている。他の4篇も同様だ。
 アメリカで泊まる場所がなかった時に助けてくれたおばあさんとの一夜の思い出を回想する「リズ・イェセンスカのゆるされざる新鮮な出会い」、ひょんなことから知り合いの植物を世話することになった「ラフレシアナ」、旅行先で石好きの男に出会う「蔵篠猿宿パラサイト」、見知らぬ男に亡き叔母の生活を教えてもらう「ハクビシンを飼う」。
 鳥肌が立ったり切なくなったり驚かされる結末の後にふと思わされるのは、心の拠り所は、思いがけないところにあるのかもしれない、ということ。他人に理解されなくとも、自分の信じるもので救われるのならばそれでいいのかもしれない、ということ。
 いずれわたしも自分が椎茸だったころのことを思い出すことができるだろうか。寒がりなわたしは、原木の上で冷たい風にさらされるくらいなら、まだ小さくとも、収穫されたい。そして鍋の中に入れてもらえたら本望だ。

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