南沢奈央の読書日記
2019/03/29

賞味期限変幻自在

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撮影:南沢奈央

 夜型のわたしは、料理を夜にすることが多い。夜食を作るわけではなく、翌日の朝ごはんの準備やおかずの作り置きをするのだ。
 うちの冷蔵庫には、賞味期限が“3月25日”の卵が7個ある。そう認識したのも深夜だった。ギリギリ使えることに胸を撫で下ろしたが、カレンダーを見ると、日付は26日になっていた。タッチの差で賞味期限を切らしてしまった、と思った。

 穂村弘さんの『君がいない夜のごはん』で、一番初めに収録された「賞味期限」の中で紹介されている著者の詩が、まさにそれだった。

    牛乳
  カップに唇をつけたとたんに、牛乳が真っ黒になって驚く。
  反射的に時計をみると零時。
  賞味期限が切れたのだ。

 もちろん、空想だ。分かっている。
 でもわたしは、この詩のように、賞味期限が一秒でも過ぎた瞬間に、食べ物は腐るのだとどこかで思い込んでいて、賞味期限が切れるのを恐れている。
 数分前に賞味期限が切れた7個の卵を目の前に、どうすべきかと頭を抱えた。
 1個や2個ならまだしも、7個もある。大好きな卵を7個も無駄にしてしまうことの方が恐ろしく、「今はまだ、25日の深夜なのだ。寝ないと日付は変わらないのだ」と脳に言い聞かせた。
 25日深夜、すべての卵を使い切ることを決めた。

 火を通せばこっちのもんだ。まず4個の卵を、茹でた。沸騰したお湯に入れた瞬間に、少しホッとした。腐敗を食い止められた、と……。
 よく考えると、これってどういうことだろう。火を通すと、賞味期限なんて無かったことになる。ここからはそれぞれ自分たちでどれくらい保存できるか、食べられるか否か、判断してください、と突き放される。穂村さんのように「自分の鼻や舌に全く自信がない」人は困るだろう。食べられるか否か、分かりやすく示してもらえたらいいのに、とそりゃあ先ほどの「牛乳」みたいな希望的な空想の詩を作るわけだ。
 茹で卵のうち1個は、翌朝サラダに乗せて食べようとそのまま冷蔵庫に入れた。残りの3個は、めんつゆに浸け込んで、味付卵にした。浸けるともっと日持ちしそうだというイメージからそうしたのだが、ちゃんとした根拠は知らない。
 残りの生卵3個を使って、卵焼きを焼いた。自分好みの甘い卵焼き。砂糖たっぷりで焦げ付きやすいから、弱火で少しずつ卵を流し込んで、巻いていく。母親に教わったコツだ。
 そしてすぐに食べない分は冷まして、小分けにしてラップに包んで冷凍する。これは、母から言われた回数が最も多いアドバイスだ。
 母は、何でもすぐに冷凍する。余ったおかずはもちろんのこと、ブロッコリーや枝豆なんかは買って家に着いたらすぐに、熱湯→冷凍庫コースだ。スイーツの類も冷凍する。まんじゅう、どら焼きあたりは序の口、シュークリームやロールケーキなどのクリーム系も冷凍する玄人だ。
 そんな母のもとで育ったから、わたしの冷凍庫はフル稼働だ。今もそこそこ豊富だ。炊いたご飯を始め、卵焼き、豚キムチ、チーズ、マフィンなどが所狭しと並んでいる。
 さらにわたしはアイスが好きだ。バニラ、ストロベリーなどのベーシックなカップアイスに、中に黒蜜が入ったきな粉のアイスバー、もちっとした食感の果物のアイスバー。アイスに賞味期限がないのをいいことに、ストックしまくっている。
 子どもの頃、アイスには賞味期限がないと知ったときの、不死身の体を手に入れた人と出会ったような(出会ったことないけど)、疑いが少し混ざった驚きと、尊敬の念を込めた感動を覚えている。
 そんなこともあり、アイスに限らず、冷凍すれば食料は永遠に持つのだという「冷凍最強説」はわたしの中で確信に似た地位を占めている。賞味期限切れだったはずの卵は、卵焼きに生まれ変わり、冷凍されたことで永遠の命を授かったも同然だ。(※実際にはそんなことはありません)
 いかに調理するかで賞味期限という概念が変わっていくのだから、不思議だ。もはや、賞味期限とは何なのだろう、とさえ思ってしまう。

 穂村弘さんの食をテーマにしたエッセイ集、58篇も収録されているのに、冒頭の一篇、しかもその中の冒頭の詩だけで、話が膨らんでしまった。
 歌人である穂村さんが選者として、投稿された歌を見てきた中で面白いのは、飲み物と食べ物についての歌だという。「誰もが毎日繰り返していながら、ひとりひとりが微妙に違うことを考えている」から。
 本書ではないが、以前出会った穂村さんの短歌で印象に残っているものがあるが、そこにも食べ物が出てくる。

  ジャムパンにストロー刺して吸い合った七月は熱い涙のような

 穂村さんの食に対するちょっと変わったこだわりや思い出、やさしい考え方にとても興味をそそられる。そして、わたしはこうだと話したくなってくる。
「御飯かルウのどっちかが冷たいカレーが好き」というこだわりには、“分かる分かる!”と一緒になって興奮した。わたしはどちらかというと、御飯が冷たい方が好き。あと熱い焼きそばのときも、冷たいご飯がいい。そもそも焼きそばとご飯は一緒に食べないという意見もあるかもしれないけれど。
 目玉焼きに何をかけるかで、穂村さんが「醤油かソースか」と言ったところで、編集者のYさんが「ポン酢」と答えたことに驚いていたけれど、“選択肢に「塩」もどうか入れて!”と議論に加わりたくなった。目玉焼きといえば、全然きれいに焼けない。上手な焼き方を誰か教えてほしいと思っていたところだ。というより、卵料理のレパートリーを増やしたい。
 わたしの冷蔵庫には今、賞味期限が4月1日の卵が9個もあるのだ。

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