南沢奈央の読書日記
2018/01/12

たゆたえども沈まず

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撮影:南沢奈央

 美術館は好きだが、美術に関する知識はほとんどない。どんな時代に、どんな人が、どんな技法を使って、どのような思いで生み出したものなのか、知らないままで絵と向き合う。それでも感動することができる。見ているだけで、絵のチカラを知ることができる。
 だがもちろん、全てに対して感動を覚えるわけでもない。どこで自分の心や身体が反応するか分からないのも、おもしろさのひとつだ。ある時は圧倒され、ある時は引き込まれる。どちらにしても、作品の前から動けなくなる。金縛りにあったかのような身体とは裏腹に、心はとても激しく動いている。そういう瞬間が、稀にやって来るのである。
 こういう楽しみ方ができるのも、多種多様な芸術が受け入れられ、気軽に触れることができるからだ。現代の恵まれた芸術文化の基盤を作ったのは、19世紀末のパリにあったのかもしれない。そう思ったのは、原田マハさんの『たゆたえども沈まず』で、当時浮世絵をパリに広めた日本人の存在と、浮世絵から大いに影響を受けたファン・ゴッホ兄弟の存在を知ったからである。

 現代に生きるわたしにとって、印象派が鼻つまみもの扱いされていたり、フィンセント・ファン・ゴッホの絵がまったく売れていなかった事実は、どうしたって信じられない。いくら写実主義が主流で美術界が保守的であろうとも、蔑ろにされるほどのことなのか。当時のパリで、日本美術がブームになっていたという事実もあまりに意外だった。その「ジャポニズムブーム」の立役者である林忠正という実在の人物が、積極的に日本から浮世絵を持ってきては広めていったことが契機となり、印象派の画家たちも数年のうちに立ち位置を変えていく。そうしたうねりの中で、写実主義にも印象派にも属さない傑作を次々と生み出していたのが、ゴッホだった。
 美術史にとって激動の時代だ。日本美術、印象派、そしてのちにポスト印象派と評されるゴッホの作品。新しい芸術の窓が開かれていく。その始まりがまさに、日本美術だということを知り、誇りと関心を抱かずにいられない。

 芸術作品の価値というのは不思議なものだ。フランスでは高額で売り買いされていた浮世絵も、当時の日本では古新聞と同じ扱いだったという。ヨーロッパでブームになってからやがて、日本でも浮世絵の価値が得られるようになっていく。はたしてゴッホの絵も、生前には世間から一切受け入れられることはなく、類まれな作品を認めて推してくれる勇気のある人物もほとんどいない。彼を精神的にも経済的にも支え、最も才能を信じていた画商の弟・テオでさえ、そしてそのテオが信頼していた林でさえ、ゴッホの絵を世に出すことは容易ではなかった。
 価値を見出したとしても、世間に認めさせるというのは困難で、孤独で、苦しいことだっただろう。林とテオを見ていてそう思う。だがもっと苦しかったのは、表現しても表現しても世間から認められないゴッホだったはずだ。本書を読んで、それでも彼は、認められる認められないの次元を超えたところに辿り着いたように感じた。極限状態になりながら、生きる為に絵を描き続けた。だからこそ、絵に激しい感情が宿り、やがて誰もが知る存在に昇華していったのだろう。 
 本書は、芸術の源流、そして人間のエネルギーの根源を、文字という道具で描き出した色鮮やかな作品である。

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