南沢奈央の読書日記
2020/08/28

人生を演じること

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撮影:南沢奈央

 役がないと怖い。
 ある舞台女優さんがそう言っているのを聞いたことがある。公演期間中に次の作品の稽古に入るくらい出演作品が途切れない方で、「休みたくないのか」と問われての答えだった。役が入っていない“自分”になりたくないのだという。
 わたしはむしろ、一つの作品を終えたらひと呼吸置きたい。だから共感はできなかったけれど、やけに印象に残る言葉だった。
 そして今回、朝井まかてさんの『輪舞曲』を読んで、ふたたび思い出すことになった。
 本書は、実在する伝説の新劇女優・伊澤蘭奢という一人の女性をめぐる物語。「私、四十になったら死ぬの」という口癖の通り、昭和3年6月に38歳で亡くなった蘭奢。その数か月後、3人の愛人と1人の息子が集まり、遺稿集を出そうという話になるところから物語が始まる。
 章ごとに視点人物が変わり、蘭奢について語られていく。
「自死だったのではないか」と言う徳川無声は、女優・伊澤蘭奢になる以前、薬屋の主婦だった三浦繁について。遺稿を見つけた内藤民治は、女優として駆け出し中の伊澤蘭奢を、遺稿集を出すのを手伝うと手を挙げた福田清人は大女優にのし上がった伊澤蘭奢を、息子である伊藤佐喜雄は、亡くなる前のほんの数年の三浦繁を語る。
 さまざまな時代から、それぞれの人物の視点で語られることで、伊澤蘭奢の人物像が立体的に見えてくる。そして本人の視点の章も入り、より色濃く、彼女の女優人生が見えてくる。

 伊澤蘭奢が女優になったのは27歳の時。今でも遅めのスタートに感じるが、当時は30歳が“普通なら女優が引退する年”と思われていたくらい。しかも、夫も息子も捨ててまで始めようと思ったのは尋常じゃない決心である。
 当時、息子は自分ではなく祖母に懐き、夫からも頼りにされない。この時の状況を彼女はこう表現する。
〈母の役柄を奪われ、妻を演じ続ける気持ちもすでに切れていた〉
 人は時と場合に合わせて、自分に役を与えて演じている。多かれ少なかれ、誰だってそうだろう。だけど蘭奢は、それを非常に意識して生きてきた人物なのではないだろうか、と強く感じた。
 女優になっても生活が厳しく、内藤民治に援助してもらっていた時にもこんな文がある。
〈「愛人」という役のいかに清々しいことか〉
 きっと、蘭奢も「役がないと怖い」と思ってしまうタイプだったのではないだろうか。
 舞台で与えられた役では駄目出しの連続、女優として鳴かず飛ばすの時の不安ったらない。もしかしたら、自分自身の価値がまだ落ちていないかどうかを確かめるのに、舞台以外で「愛人」という役に浸り、人に縛られずに人に愛されることが、一番手っ取り早い方法だったのかもしれない。

 それにしても、本書で描かれる舞台稽古風景を見ると、100年前も今もそう変わらないんだなと思わず微笑んでしまった。
「稽古でやれねぇもんが、板の上でできるわけがねぇんだ」
 わたしも時々言われる。うまくできずにほろりと涙をこぼす蘭奢を見て、あぁわたしも時々あるなぁと胸がチクリとする。だけど蘭奢の〈涙の一筋を拭うのではなく、「コン畜生」とばかりに掴んで捨てる〉姿を見ると、その勇ましさに励まされる。
 ブレヒト、ニイチェ、森鴎外、谷崎潤一郎、菊池寛など……今でも聞けばピンとくる人物の名が次々登場するのもくすぐられる。
 日本でいまだに上演されることのある、チェーホフの名戯曲『桜の園』もこの頃に生まれていて、実は初演でコケて、しばらく上演されることがなくなっていたというのを知り、驚いた。さらに、それを蘭奢が1924年に帝国ホテルの演芸場で上演し、日本の演劇史で『桜の園』が復活したのだというストーリーを知り、感激している。今年130周年を迎える帝国ホテルの130年の歩みの年表を見ると、1924年の項目には、「ホテル内演芸場で新劇上演(2月)以降演劇公演相次ぐ」とある。『桜の園』だけではなく、関東大震災後の演劇界のモチベーションや演劇の人気に火をつけることになったことが窺える。
 それぞれの視点に立つ男たち4人も、徳川無声は伝説の活動弁士であり、内藤民治は出版社社主、福田清人は後に児童文学作家になり、息子である伊藤佐喜雄も芥川賞の候補に挙がるほどの作家になる。
 大正から昭和初めの“芸術史”という観点で読んでも、かなり面白いのである。

〈舞台こそが私の砦。二度と下りるもんですか〉
 激しい熱情によって役の中で生きた伊澤蘭奢は、芸術を愛し、芸術に愛された人物だった。

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