南沢奈央の読書日記
2020/08/21

窓の光

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撮影:南沢奈央

 部屋の中から窓の外を見ると、まるで別世界のように見えることがある。
 この季節は特に、窓一枚隔てただけで、10度近くの気温差があるし、人の表情はまるで違う。
 ぼうっと外を見ていると、マスクを顎までおろして汗を拭いながら歩いている人がいる。わたしは部屋の中で、マスクをせず、冷房で冷えた足首を擦って温めながら椅子に座っている。
 ベランダの野菜は太陽の光を浴びて葉を生き生きとさせ、風に揺れている。机の上のプリザーブドフラワーはうちに来たときの美しいままで、微動だにしない。
 同じ場所の同じ時間なのだろうか、と思ってしまう。不思議な瞬間だ。

 カシワイさんの『光と窓』を読んだときに、そんな“もう一つの世界の存在”を考えさせられた。
 本書は、日本の童話作品7篇を漫画で描いたものだ。安房直子「夕日の国」に始まり、「小さいやさしい右手」、小川未明「金の輪」、須賀敦子「こうちゃん」、草野心平「ごびらっふの独白」、新美南吉「ひとつの火」、宮沢賢治「注文の多い料理店」で締めくくられる。
 わたしが文学作品のコミカライズを手に取る時、正直「まだ原作を読めてないから」とか「どんな話だったか思い出したいから」という理由がほとんどだった。世界の名作や古典を原作で読むのはハードルが高いから漫画で読もう、という人はわたしの周りにも結構いる。
 だが今回わたしが本書を手に取った時、そういう思いは全くなかった。表紙を見て、単純に絵に惹かれたというのと、『光と窓』というタイトルが気になったのだ。
 どれか一篇のタイトルをメインタイトルに掲げるのではなく、7篇に共通する大きなテーマを示しているようなシンプルなタイトルは、見事だと思う。連載後、単行本にするにあたって決めたのだとか。
 それぞれ別の物語なのだけど、一冊で一つの作品にまとまっている印象を受けるのは、『光と窓』というこの書籍タイトルがあることも大きな要因のひとつではないか。
 他にも要因がありそうだ。たとえば、7篇通して世界観がつづいていること。物語と物語のあいだの境界線が、いい具合に曖昧なのだ。原作が全く別の作者の作品でも、何だか、空気は同じように感じる。カシワイさん一人が描いているから当たり前なのかもしれないが、カシワイさんの描き方がそうさせている気がする。
 原作の文学作品のストーリーを伝えるのを目的にせず、作品から受け取った感覚やカシワイさん自身の感性が描き出されている。繊細な絵のタッチや場面の切り取り方に、それを感じた。

 特にわたしが好きだったのは、カシワイさんも影響を受けたという安房直子の「夕日の国」。
 横丁のお店の小さなショーウインドの飾りつけをお父さんから任せられた主人公〈ぼく〉は、一足のスニーカーと一本のなわとびを並べる。〈ぼく〉はそれを眺めて、なわとびとスニーカーがそこで動き出すのを想像する。
 その場面が奇妙で美しい。誰かが飛んでいる様子なのだけれど、スニーカーとなわとびだけが宙で動き、飛んでいる人物は実像でなく影だけで描かれている。
 その後、咲子という女の子が薬を持って現れる。それを使ってなわとびをつづけて飛ぶと、50回で夕日の国が見えてきて、70回飛ぶと向こうに行けて、100回で元の世界に戻ってこられるという。
 咲子と一緒に飛んで見た夕日の国は、どこもかしこもオレンジ色の幻想的な砂漠。そこには一匹のラクダがいる。孤独なラクダのそばまで行ってあげたい。だけど、100回ではそこまで辿り着けない。そして咲子は、夕日の国の人になるたった一つの方法を〈ぼく〉に教えてくれる……。
 ショーウインドの中の別世界を覗くところから始まって、向こうの世界に踏み入れたいと思う。まさに、窓の向こうの光に憧れる様子が描かれる。
 キケンな場所かもしれない。もしかしたら孤独な場所かもしれない。だけど、今いるここよりも、窓の向こうのほうがすてきなような気がする。

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