南沢奈央の読書日記
2017/08/04

映し出される顔

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撮影:南沢奈央

 「映像化したら面白そうなもの」というアンテナを張って、本屋さんを歩くことがある。「自分が演じてみたいもの」というアンテナも別にあるので、あくまで女優である自分とは切り離して、いち読書好きとして、映像化したら見てみたいと思うようなものを探す。
 夏になり、各出版社の文庫フェアで盛り上がる書店で、映像化アンテナに引っかかった小説があった。藤崎翔さんの『神様の裏の顔』だ。元お笑い芸人さんである著者のデビュー作で、第34回横溝正史ミステリ大賞を受賞している。
 平積みされていた文庫本のタイトルと帯の文句“面白過ぎて25万部突破!”に釣られて、裏に書かれたあらすじを読む。舞台は葬儀場。個性豊かな登場人物たちの回想によって、二転三転するストーリー。そして、どんでん返しの結末。これは5話くらいの連続ドラマにしたら、毎話で展開が作れて、面白そうだ。

 「読経」「焼香」「法話・喪主挨拶」「通夜ぶるまい」「控室」と5つの章に分かれている。物語の初め、「読経」では故人のことを“あの人は神様のような清廉潔白な教師だった”と惜しみ、感謝し、みな本気で涙を流している。参列している娘、後輩教師、教え子のアラフォー男性とギャル、ご近所のおばさんとお笑い芸人。さまざまな間柄の人が涙するほど慕われていたのかと、あらすじを読んでこの先二転三転あると知っていながらも、うっかり胸を打たれる。
 そして「焼香」をあげながら、それぞれ心に残っている思い出がふと蘇ってくる。家庭や仕事の問題や悩みを相談して、故人に助けてもらったこと。だが同時に、その時に不審死や事件が起きていて、“神様”からは想像つかない意外な故人の一面も見たこと。薄く疑念が浮かんでくる。
 だがすぐに恩人を疑うなんて馬鹿馬鹿しいと疑念は胸の中に押し戻す。冷静な気持ちを取り戻してきた登場人物たちは、「法話・喪主挨拶」中、不謹慎な本音が出てくる。たとえば、娘と元同級生(=元教え子アラフォー男性)が再会してお互いに心をときめかせていたり、近所の主婦は香典をしっかり包んだのだからこの後は料理を食べて行かなくちゃと心に決めている。お通夜に人生初参加であるお笑い芸人に至っては、新鮮なことばかりで、“艶ブルマ”ってなんだ??と興味深々で席を立つ。
 行った先は「通夜ぶるまい」だった。ここから一気に物語があらぬ方向へ展開されていく。会場でそれぞれの人物たちが接近し、しかも会話ができる状況になり、ここまでひとりひとりで考えてきたことが結びついてくるのだ。消そうとしていた疑念が色濃く浮かび上がってくる。そしてやがて“神様”は“連続殺人鬼”とまで呼ばれるようになっていく。
 ミステリらしいシリアスな展開になってきたわけだが、そんな中でもクスッと笑ってしまうようなシーンがしっかり散りばめられている。(“艶ブルマ”のくだりでお気づきかもしれないが。)みんな大真面目だからこそ、笑える。
 しかし読み手としては笑いながらも、故人の“神様像”が崩壊し、“連続殺人鬼”へと変貌していく様子が、異様に恐ろしい。タイトルですでにフリがあるように、神様の裏の顔って一体何だろう……と怖いもの見たさで想像しながら読み進めているけれど、まさかの姿に衝撃を受けた。

 最後に「控室」に移動し、それぞれの考えを持ち寄って、推理していく。正直に自分の事を明かしていくうちに、みな、裏の顔を持っていることも見えてくる。“神様”というのは周りの理想で幻想だったのかもしれないし、“連続殺人鬼”というのも勝手な思い込みだったのかもしれない。……もうここから先は言えない。わたしが言えるのは、ここからまだまだどんでん返しがある、ということだけだ。とにかく練りに練ってある物語だ。このラストは予想もできない。
 映像化するには一筋縄ではいかないだろう。文章だから騙せる部分を、映像ではどのように表現していくのか。「映像化したら面白そうなもの」に間違いない。いつか見てみたい。けどやっぱりそういう作品からは、文章だからこそ出来ることも感じられる。だからきっとわたしは、映像の中で挑戦して生きながら、読書を楽しむことを止められないんだよなぁ。

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