南沢奈央の読書日記
2017/04/07

晩春の先

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20170407
撮影:南沢奈央

 東京都心で満開宣言された桜。そして一か所も糸の解れていない新品のスーツに、ツヤのある革靴、型崩れしていないカバンを持つ、緊張した面持ちをした人たち。新社会人だろう。
 そういえば、無縁だった。スーツ。入社式。
 わたしは今の事務所にスカウトされ、高校1年の時に女優を始めた。もちろん入社式なんてものはなく、「はい今日からあなたは女優です」と言われることもなく、これから始まる高校生活に胸を膨らませている15歳のいち女子高生が「南沢奈央」という名前を与えられ、初めてメイクを施され、用意された衣装を着て、プロフィール用の写真を撮った。初めて会う人たちの前で笑顔をつくることはなかなかできなかった。カメラの後ろではわたしを笑顔にさせようと、大人たちが必死にあらゆるモノマネをしていた。笑ってみた。
 まもなく台本が渡された。用意された台詞を言う。監督に言われた動きをする。ひとつのドラマが完成した。
 いつの間にか、わたしは“女優・南沢奈央”になっていた。

 そうしているうちに、入学当初学年2位だった成績も見事に落ちていき、部活動も中途半端になりレギュラーには一度もなれず、学校帰りに友達と遊びに行くこともできなかった。修学旅行では途中で抜けて一人で帰った。卒業式では証書を受け取って余韻に浸る間もなく、すぐに仕事へと向かった。大学では入学式にも卒業式にも参加できなかった。
 何度、この仕事を恨んだことか。
 女優になって、最初に事務所の人に言われたことがあった。
「この世界でやっていくなら、何か犠牲にしなきゃいけないことが出てくる」
 納得がいかなかった。同世代の人たちがしていることができなくて、悔しかった。
 だけど大学最後の1年となり、ようやく気が付いた。
 同級生が就職活動を始め、奇抜な格好をしていた人もラブリーな格好をしていた人も、みなスーツを身にまとっていた。ああ、みんなも、社会人になるんだ。
 自分は置いていかれていたのでなく、何歩も先に進ませてもらっていた。同世代がしていることができなかったんじゃなくて、同世代ができないことをわたしはずっとしていたのだ。
 女優じゃなくとも、仕事をしながらやりたいことも全てやるなんて、贅沢な話だ。

 1年前、石井妙子さんの『原節子の真実』を読んで、そんなこれまでの自分の甘さや弱さを突き付けられたのだった。原節子の物凄い覚悟を持った女優人生を目の当たりにして、知らなければよかったと思うくらいだった。だがそこでわたしも改めて、女優としての覚悟ができたのだった。(前回書評「あなたは何を守りますか」)

 一年経ち、再び同書を読んだ。すると、今回は特に、戦後の原節子の生き様がぐさぐさと刺さってきた。戦争を経験した原節子は26歳。今の自分の年齢と同じだ。その頃の原節子はついに女優という仕事に目覚め、その固めた意志の強さ故だろう、凄まじい開花をしていくのだった。そして次々と代表作を生み出していく。その中でもわたしは、小津監督の「晩春」で演じた、凛とした芯のある紀子、そして作品が世間に評価されつつも「納得していない」と言ってしまうような原節子が、とても好きだった。
 ふと、原節子に語り掛けられたような気がした。今度は覚悟のその先を考える時が来たと。
 今年、女優として12年目に突入する。行く春を惜しむのはまだ早い。咲き、散り、また咲かす。青々とした葉の中に新しい芽を萌えさせていきたい。

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