南沢奈央の読書日記
2024/05/31

シェイクスピア・アップデート

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2019年に出演した「HAMLET―ハムレット―」の台本(撮影:南沢奈央)

 PARCO劇場で上演中の舞台『ハムレットQ1』を観た。
 ハムレットは知ってるけど“Q1”ってなんぞや、と調べてわたしも知ったのだが、シェイクスピアの『ハムレット』には、Q1、Q2、F1という3種類の原本があるのだそう。その中で今回は、最も短く、F1の約半分の長さであるQ1版を扱っているのである。
 物語がぎゅっと凝縮されている上に舞台セットの転換もないから、次々と場面が展開されていく。その分、間や余白を効果的に使っていて、緩と急、静と動で引き込まれっぱなしだった。そして吉田羊さん演じるハムレットは凛々しく理知的で、惚れ惚れ。そこに人間味溢れるチャーミングが乗っかっているから、ハムレットを人として大好きになってしまう。
 他の出演者の皆さんの素晴らしさも書き連ねたいが観劇日記になってしまいそうなので、この辺りにさせてもらうが、わたしが観ていてハッとしたことがある。
 台詞が変わっている、と。
 実はわたしも『ハムレット』に出演したことがある。しかも翻訳・松岡和子さんと演出・森新太郎さんという、『ハムレットQ1』と全く同じタッグで、2019年に東京グローブ座で上演したのだ。
 もう5年も経っているからほぼ台詞は覚えていないだろうなぁと思いながら新鮮な気持ちで観ていたのだが、何十回とやった台詞は意外と覚えているもので、オフィーリアの登場シーンに来たときに、好きな台詞をふと思い出した。留学に出発する兄レアティーズから「さっき言ったこと忘れるなよ」とハムレットに対して注意するよう釘を刺され、言い返す。「記憶に収めて錠をおろし、鍵はお兄様に預けておくわ」。ぜったいに忘れない、お兄様わたしを信じてね、といった意をこのように詩的に表現する。錠をおろすということは、忘れないという誓いにもなるけれど、兄の言葉を大切にしていることも伝わる。この一つの台詞から、兄妹間の絆やオフィーリアの知性などいろんな要素が見えてくる。
 あの台詞がいよいよくるぞ……とそわそわしていたら、きたのは別の言葉。「もう心に収めて錠をおろしたわ。鍵はお兄様に預けます」。一文としていたのものを二つに分けてある。しかも、「記憶」ではなく「心」。言い回しが変わっていたのである。でも飯豊まりえさん演じるオフィーリアはこう言うだろうという自然さがあり、素敵な響きだった。
 古典作品を観るという面白さを初めてちゃんと感じられたような気がした。
 話の筋や台詞を知っているからこそ気づけることがある。演じたことがあるのは大きいが、そうでなくても、『ハムレット』は最も多く観劇している作品だった。そういった上演され続ける作品で、どの方の翻訳を使うかによっても印象は異なる。キャストが変わり、演出も新たになる。それだけでも面白いのに、同じ翻訳家の台本で台詞まで新たになっているとは。

 その興奮が収まらぬまま手に取った、翻訳家の松岡和子さんの人生を追ったノンフィクション。プロローグの一文に、早くも納得、そして脱帽した。
〈シェイクスピア作品が松岡訳で上演されるたびに翻訳を見直し、アップデートし、常に「最善のもの」を残しておこうとする努力を続ける〉。
 たしかに今回の舞台に関する記事を読んでいくと、「新訳」とあった。今回も見直し、「最善のもの」に仕上げたから、台詞が変わっていたのだ。完成された台本を受け取る段階から始まる俳優としては、その制作過程は想像もしなかった。松岡さんの翻訳台本はすでにあるわけだからそれで成立はするはず、と考えてしまっていた自分の浅はかさに恥じ入る。
 しかも、28年という長い年月をかけてシェイクスピア全37作翻訳を果たしたのにもかかわらず、その努力を続けているのだ。それがゴールになってもおかしくないほどの偉業を成してもまだ、松岡さんはベストを目指す。御年82歳になっても、自分の翻訳を絶対の正解にはしない。時代に合わせて、さらに演出家や俳優からの刺激を受けて変化していくことのできる柔軟性と向上心、好奇心――。生い立ちから現在に至るまでに触れると、こんなふうにわたしも仕事に臨みたいと思わされると同時に、こうやって年を重ねていきたいと思える生き方をされているのだ。
 
 ここまでの熱を持ち続けられているということは、さぞかし昔からシェイクスピアが好きだったんだろうと思ったが、ちがう。本書の題『逃げても、逃げてもシェイクスピア 翻訳家・松岡和子の仕事』にあるように、読んだり勉強するたびに、その難解さに逃げてきたのだった。だからシェイクスピアを訳すなんていう想いは全くなかったのだとか。
 そんな流れで、いかにしてシェイクスピアにのめり込んでいったのか、全作翻訳に至るのか、その過程も見どころだが、シェイクスピア作品翻訳の裏話は非常に読み応えがある。
 日本語訳がすでにある中で新たに訳す意味を考え、原文の解釈からし直していく作業は〈果てしのない旅〉だけど、それは〈シェイクスピアの追体験〉にもなっていく。
『ハムレット』の有名な台詞「To be, or not to be, that is the question.」では、この独白のあいだ、主語に一人称単数が使われていないことに気付き、その意味を考える。また、この台詞、「生きるべきか、死ぬべきか」というのがイメージにあるが、実際はこの先まで「死」という単語は使われていない。
 だから松岡さんは「死」という言葉を使わずに、自分ではなく人類存亡の意を込めて訳した。「生きてこうあるか、消えてなくなるか、それが問題だ」――そう本書にはあるが、これはおそらく1996年に全集を出版した際のもの。わたしが5年前に上演した際は「生きてとどまるか、消えてなくなるか」だった。ここでもアップデートされていたことを知って、ぞくりとする。さらに、直近の『ハムレットQ1』では、「それが問題だ」の部分が、「そう、それが肝心だ」になっていた。
 古典作品に敬意を持ったうえであえて変化させ続けることで、現代でも“生きた作品”となる。松岡さんはそれを証明してくれている。
 この人と共演してみたい、この人の演出を受けてみたい。そう思ったことはあるが、この人の翻訳で台詞を言ってみたい、と思ったのは初めてだ。俳優としての今後の一つの目標を見つけることができた。

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